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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.144(2025年1月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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今回は、特にカウンセラーには欠かせない「自己覚知」について深めてみたい。

みなさんは「受動意識仮説」をご存知だろうか。
簡単に説明すれば、以下の通りである。(Google=AIによる解説から引用)
【受動意識仮説とは、人間の意識や意思は無意識や潜在意識によって動かされており、
意識は無意識下の判断を自分が決めたと感じているだけで受動的に受け取っているに
すぎないという仮説。これは、人間はロボットのように単に外部情報に反応して動いて
いるだけで自由意思はないという考え方を示しています。
我々が意識だと感じているものは、自ら命令を出して脳を動かしているのではなくて、
脳の自立分散処理を受動的に見て、それを「あたかも自分がやったかのように錯覚す
る」だけだというのです。】引用おわり

つまり、しっかりと熟考してから行動を選択しているようでも、じつは目の前に
起こっている現象や出来事に対して反応しているだけだ・・ということになる。

これは、文字通り「仮説」なのだが、そう言われてみるとあながち否定もできない気が
する。
前回のメルマガの中で挙げた例の繰り返しになるが、台風が近づいてきているのに
「田畑が心配だ」と様子を見に行って命を落とすケースが後を絶たない。
見に行ったところで強風や豪雨が相手では何ら抗う術はないはずなのだが、
安心を求めるが故に見に行かずにはおれないようなのだ・・。

または、悪天候が予想されるにもかかわらず冬山登山を強行したり、クマと出くわす
危険があると警告を受けたのにキノコや山菜を採りに山に入る人たち。
他にも土砂崩れや津波に流される危険がある土地に家を建てる人たち・・
数年後に起こるかもしれない危険性と好ましくない展開(損失)を予想できずに巨大な
投資を行なう企業・・

どれもが想定力の欠如に加えて、きっと大丈夫だ!うまくいく!という希望的観測と
根拠のない思い込み(正常性バイアス⇒確証バイアス)が多くの悲劇を招いている。

こうしたい・・このようにありたい。だから行動する・・
人は、どうやら高まる気持ちを抑えることができないようだ・・

人が行動を起こす判断には、思考(考え)よりも先に感情(気持ち)が強く働くと
言われているが、なぜ行動するのか?と他者に問われれば、後付け的かつ巧妙に
理由を作り出すのである。
まるで約束を破った子どもが叱られないように屁理屈的な言い訳をするかのように
である。
これは、防衛機制の中の「合理化」という作用だが、合理化の怖いところは、
問いかけてきた相手よりも先に自分自身に対して偽ることである。

この件については、脳について科学的な検証が為されていなかった100年近く前
からアルメニアの神秘主義者であるGIグルジェフが「人間はプログラムに従って
反応するだけの機械だ!」と言い切っていたが、多くの人間たちが、よく考えること
もせずに無謀ともいえる冒険に挑んだり、他者から何か言われた途端に怒り出したり、
または後になって振り返れば「あのとき自分はどうかしていたな・・」
と後悔すること頻りである。
これらはすべて「反応」だというのだ。

もし、脳の仕組みがそのような構造になっているのであれば、我々は自己意識など
持とうとするだけ無駄なのかもしれないし、いくら考えようとも認知バイアスや
非合理な思い込みの呪縛から脱することは叶わないのかもしれない。
所詮、人間など自然界に生きる動植物と同じでしかないのかもしれない・・
と悲観的な思いに苛まれてしまいそうになるが、これもまた反応なのだろう。

そこに何とか意識を持ち込み、思考に価値を見い出そうというのであれば、せめて
「勝手に湧きあがる興味」に任せるのではなく、何事に対しても可能な限り
「意識的に関心を持つこと」に努めなくてはならないだろう。

むかし、関口宏が司会進行を行なう「知ってるつもり」という番組があった。
実際に、「知ってるつもりでいたこと」が、番組を観終えた時点で「じつは何も
知らなかったのだ・・」と幾度も思い知らされたものだった。

今もまた「チコちゃんに叱られる」と言う番組のおかげで、目の前を通り過ぎる事
(モノ)に対して何ら意識せずに流していた自分、そして当たり前すぎること
なればこそ全く関心を持たずにボーっと生きていた自分が露呈される体験を
させてもらえている。

ところで、社会は「入れ子」的なシステムになっている。
システム論は家族心理学においては中核を成している観念でもあるが、
個人⇒家族⇒職場(または学校やサークルなどの集団)⇒地域⇒自治体⇒都道府県⇒
国家⇒世界・・。
つまり、海洋生物界における食物連鎖がプランクトンからクジラに至り、クジラの死骸
がプランクトンの棲家となるが如く、ミクロ⇒メゾ⇒マクロが循環システムとして
「個人」が社会の一部であると同時に社会に対して影響を与え得る存在であることと、
一方で逆に社会が個人に影響を与えていることをしっかりと認識していないがために
選挙があっても投票に行かない者がいることの理由になっていると言えるだろう。

日本においては集団主義に因って発生する同調圧力が個人を苦しめている例が多いが、
かといってアメリカのように全体が見えない個人主義的傾向もまた問題だと思われる。

仏教では、このような構図を「縁」または「因縁」という言葉で表している。因果応報
も自業自得も時間的な要素を理解できず、目の前の問題に翻弄されていて未来につい
て盲目な人間を指しているのである。

冒頭に述べた「機械性」とは、無自覚という意味で語れば、いろんな解釈があるだろう。
ただ、人間が持つそのような機械性を知った上でなら、意志的にやれることも残されて
いるようにも思う。
興味に任せるのではなく、意図して関心を持つこと。これだけでもずいぶん違った結果
が得られることだろう。

近世哲学の父と言われ、「我思う、ゆえに我あり」の命題で知られるルネ・デカルトは、
方法的懐疑といった手法を以て可能な限り真実に近づこうと試みた。
彼は、どんなことも鵜呑みにせず疑い、自分の目で確認したことしか信じないことを
大切にしていたのである。

人間関係においては「事実」と「推測(想像)」と「情報」の区別が曖昧なまま過ごし
ていることが多く、それゆえ、あらぬ誤解によって関係が拗れたり、無用な対立を
生んだりすることばかりだ。
ならば、これもまた何らかの出来事が生じた際に、それは上に挙げた3つのどれだろう
か?と自らの心の動きに対して問うてみることくらいはできるだろう。

時間の経過に準ずる展開については、でき得るかぎり多くの可能性と危険性を想定
することで回避できるかもしれない。

ひとくちに自分を知ると言っても、これだけいろんなチャンネルがあることも
また知る必要があるだろうし、我を知らずして生きていることを「営み」
と呼んでいいものか?と疑問に思うのだ。

ソクラテスは「無知の知」という言葉を残している。
自分は、まだまだ何も知らない。理解していない。それどころか無知であることを
認める謙虚な姿勢を持っていて、そこで初めて「生きること」が始まるということを
既に説いていた。
我々は、21世紀に生きていながら、未だ2600年も前に生きた彼らにすら
追いついていないことを自覚しなくてはならない。

あと数年もすればAIの能力が人間のそれを上回ることになるだろう。
しかし、今から既にスマホやゲーム機なしでは生きられないといった依存症に
染まる者や、事実かフェイクかの区別がつかないまま鵜呑みにしてしまう者が
多いようでは先が思いやられてしまう。
少なくとも、すぐに助言するようなカウンセラー(アドバイザー)は、
AIに勝つことができないだろう。

自己覚知はどこまで掘っても終わりがない。自らの成育環境によって染められ、
多くの自覚なき大人たちによって「世の中とは、このようなものだ」と刷り込まれ、
自分にとっての当たり前を「普通」と呼び、一般論を正論だと信じている。
そんな自分に、敢えてメスを入れることによって、
そこで初めて見えてくるものなのである。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.143(2024年12月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"伊良波久美さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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コラムを久しぶりに書かせていただきます、伊良波です。
昨日、キャリアコンサルタント養成講座62期が修了しました。
オンラインではありましたが、多くの皆さんとの出会いに刺激を受け、
3か月間、大いに心を動かされました、この出会いに感謝しています。
しかしオンラインなので、休み時間に話すこともほとんどないのが残念です、
いっぱいお話をしたいなぁという気持ちを今回はお伝えしてみたいと思います。

 日頃私は、人から信用される人=キャリアコンサルタント、と考えています。
では、どんなその人の様子が、人から信用されるのか?
キャリアコンサルタントは見ず知らずの人=相談者と会ったその時に、
安心できることを伝えて相談者がリラックスして自分のことが考えられるように、
その場を提供するのがお仕事です。会った瞬間にそんなことが可能なのでしょうか?

言葉で伝える以外にキャリアコンサルタントの視線から声の調子から、いろんな情報
を相談者は受け取ってこのキャリアコンサルタントを、信頼できるのかを判断を
していきます。
会った瞬間、言葉を発した瞬間、椅子に座る何げない仕草、いろんな瞬間、瞬間で、
私たちは情報のやり取りをしています。そこで現れているものの芯には、
その人なりの考え方や信念があって、それが外に表現されているのですよね。
(24図で言えば、図の11になります。※1)
では自分が芯に据えている考え方は何なんなのだろう。皆さんはいかがですか?

私の場合はY理論があります。X理論Y理論(理論家は誰でしょう?
マクレガーですね)X理論は人間怠け者論、人とは怠け者で飴や鞭を使って労働を
強制しないといけないという考え方、他方Y理論は人間信頼論、人間は成長したり
創造したり働いたりする意欲が備わっている存在とする考え方です。
(出典:カウンセリングの話:朝日選書 平木典子著)

例えば相談に来られる方の今の状況はとても苦しくて、自分のダメなところばかりに
目が行ってしまって、自分を信じられないような状況かもしれないけれど、いつか自分を
信じて、自らを成長させようと思える人だと、私は信じています。だから今のつらい状況に
一緒に寄り添いながら、その人の持っている力を最大限に活かせるように支援することが
できる、それがキャリアカウンセリングでありキャリアコンサルティングだと思います。

さて昨年、キャリアコンサルティング協議会で倫理綱領の改定が行われ今年の1月1日
に発表されました。ACCNでもACCN WEYを策定しています、下記にご紹介します。

《私たちACCNキャリアコンサルタントは
 すべての人は、働くことについて、また生きることについて、自ら考えて意思決定できる
存在だと信じています。そして、一人ひとりが、自身の仕事人生を大切にし、お互いの
仕事人生を尊重しあえるような世の中を理想としています。その理想を実現するために、
私たちACCNキャリアコンサルタントは個人や組織に働きかけていきます。
 私たちACCNキャリアコンサルタントは「善い仕事」を大切にします。「善い仕事」
とは、一人ひとりがその人らしく働き、生きていくという個の尊厳が守られる働き方を
指します。また、個人が所属する組織において、相互尊重しながら力を発揮することで
社会的な役割を果たしていく仕事を指します。
 これにあたり私たちACCNキャリアコンサルタントは、一人ひとりの人生に
さまざまな形で関わっていることを自覚し、「善い仕事」をしていくために必要な専門性の
充実、関係する専門家や団体との適切な関係の構築など、私たち自身の成長に絶え間
なく取り組むことを誓います。》
一般財団法人ACCN(オールキャリアコンサルタントネットワーク)
https://www.allccn.org/

ステキな文章です、センテンスひとつずつに思いが込められています。
「善い仕事」とは、一人ひとりがその人らしく働き、生きていくという個の尊厳が
守られる働き方を指します。
一人一人が尊ばれる働き方を支援することに誇りをもって、キャリアコンサルタントの
皆さんにますます活躍していって欲しいと思っています。

ところで本日、皆様へお伝えしたいことがあります。
「テクノファ人材開発フォーラム2024」12月23日(月)開催されます。
無料のオンラインセミナーです。今回取り上げるテーマは、

「無知なことを知って理解し行動しよう ― 多様性(ダイバーシティ)の世界へ」
ちょっと過激な言葉が並びますが、知らないということは、これから知ることが
できるということです。成長の一歩です。

「新しいことを学ばないと成長ストップです、人というのは成長したいし、成長できるのです。」
かなり抜粋しましたが、今は亡き今野能志先生がいつも言っていらっしゃいました。
私の芯には今野先生の言葉がしっかり根付いているのだと思います。

(※1:キャリア開発ワークショップの中で、24図という24個の図があります。
それぞれにいろいろな意味があって、一つ一つを学ぶことで、人が組織と協働していくことを、
学ぶことができます。書籍で学ぶのであれば、下記をどうぞ。
「キャリア開発24の扉―組織・仕事・人・心を考える必携ガイド」生産性出版
◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.142(2024年11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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選挙も終わり、候補者らが街頭演説で語っていた公約の実効性や新たな政府の
方向性が気になるところだが、私はいつもながらの『投票率の低さ』を見るにつけ、
とても残念な気持ちになってしまう。

政治や経済など身の回りのことに関心がなく、選挙があっても投票に行こうと
しない人たちは、はたして『社会に参加している』と言えるのだろうか?
などといった疑問が湧いてきてしまう。

もちろん、きちんと税金を納め、法律に則って他人に迷惑をかけることなく、
社会システムに関与しながら生活しているのであれば、とりあえずそこに『参加意識』
はあるのだろうが、単に収入に通じる経済活動(勤務)だけにかぎらず、社会福祉や
公共事業、または他国との外交や貿易など、実際に我々の生活にとって間接的に
繋がっている『政治』や『経済』に関心が及ばないとすれば、『参画意識』はないの
だろうな・・と勝手に悲しくなってしまうのだ。

投票に行くか行かないかは任意であって強要されるものではないので、投票に行か
ない人たちを責める気はないのだが、けっきょくは自分の身に降りかかってくる
国の舵取りや運営について興味が湧かないという件については不思議に思えたりする。

そのようなわけで、試しに『社会人とは何か?』について、広辞苑で調べてみたと
ころ、以下のような説明文が載っていた。

【 「社会人」とは一般的に「社会の構成員としての個人」と定義されています。
「社会人」は社会で何らかの役割を持って活動している人を指し、一般的には
本業がどうかで社会人かどうかを区別します。ですからアルバイトやパートで
働くフリーターは社会人とは呼ばれません。
社会人としての自覚とは、広義としては社会を構成する一員としての認識(自覚)
があること、または狭義としては組織や集団の一員として、経営や事業拡大へ
関わっていることを認識することです。
学生はさまざまな知識や教養を学び身につけることが求められる立場ですが、
社会人は身につけた知識やスキルを活かし、組織や集団に貢献する「成果」
を出すことが求められます。
また、一時的に無職状態である人や専業主婦なども社会人として考えられます。】

これは意外だった。
思っていたよりもずっと厳しい内容に驚くと共に呆気にとられてしまった。

どうやら何らかの役割を担って活動していない者は社会人と呼んで
もらえないらしい・・
フリーターやアルバイトも社会人ではないとなると、正規の職員や社員になりたくて
懸命に働いていても非正規でしか雇用されない者や、不本意ながらも疾病のために
入院生活を余儀なくされ、完治まで時間を要するために動くことができずにいる人、
または精神が病んでいるために引きこもり状態に陥っている人も社会人ではないことに
なってしまう。年金生活の老人も然りである。

また、後から取って付けたように専業主婦も社会人として受け入れてくれてはいるが、
それも「考えられる」といった非常に曖昧な書き方になっているのも気になるところだ。

これらの解釈は、おそらく『キャリア』に対する理解の乏しさと誤解の反映だろうと
思われるのだが、どうにも仕事を持っているか否か、または正規雇用か非正規かに
よって存在の定義まで疑われるような風潮があるとすれば由々しき問題であるし、
このような厳しい条件下に在る規定は人権問題にまで発展しかねない。

スーバーが示してくれた『キャリアレインボー』にも示してあるように収入の有無や
役割的な価値、または何らかの成果など、目に見えるものだけに限らず、そこには
主観的な意味付けや存在価値、そしてやり甲斐や生きがいなどの一人称的な感覚も
また大切にされなくてはいけないはずだ。

基本的人権を語る上では私情的な想いや感情までもが大切にされているのに、
これらの厳しい条件をクリアしていなければ社会人だと名乗れないというのは、
あまりにも酷い解釈としか言いようがない。

ただ、昨今問題視されている生活保護の問題。つまり外国籍の方々と国民との
扱いに差にあると不満の声が上がってきていることや、市民権の獲得問題に
ついては議論の余地があると思うが、我々の血税がどのように遣われているか?
今後も平和を維持できるか?健康は?物価は?・・これら時事問題についても
他人事ではなく敢えて意識的に自分事として関心を持って戴きたいものである。

ところで皆さんは、つい先日まで放映されていた朝ドラ『虎に翼』をご覧に
なられただろうか?
私は10数年ほど前から朝ドラを時計代わりに使っているので毎日欠かさず観ることが
日課になっているのだが、今回の『虎に翼』だけは全くの別物であった。
100年前から今日に至る法曹界の変遷を描いた内容だったのだが、主人公が女性初の
裁判官ということもあって、当時の女性たちの声にならない苦しみや悲しみが痛いほど
伝わってきたし、身近な問題でありながら知らなかったことも多々あった。
また、個々人の存在価値や人権について考えさせられる場面も多く、とにかく得るもの
が多いドラマだった。
(※:もし、ご覧になられていないのであれば、ネット配信やレンタル等でご覧になる
ことをお奨めします。)

『興味』は自然に湧くもの。 『関心』は敢えて意識的に持つもの。
今やネットニュースもYouTubeもSNSの画面上に現れる記事も、どれもがAIの判断に
よって個人の趣味や嗜好に合わせて内容が振り分けられているという。
ならば、意志的に関心を持つことで、新たな自分を演出してみるのも一興かと思うのだが、
如何だろうか。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.141(2024年10月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"吉末直樹さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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テクノファキャリア養成講座を修了した皆様へ

お世話になっております。吉末直樹です。
この度、長きにわたりテクノファ実践研究会の会長を務めてこられた鈴木さんより、
会の運営を引き継ぐこととなりました。ここに会長交代のご報告をさせていただきます。
鈴木会長には、5年にわたり多大なご尽力をいただき、深く感謝申し上げます。
新たな会長として、キャリアコンサルタントの発展と知識の共有を図りながら、
今後も皆様と共に実践研究会をさらに活性化してまいりたいと存じます。
副会長の左雲昌樹、伊藤まき子とともに、新体制で運営を進めてまいりますので、
引き続きご支援とご協力をお願い申し上げます。
実践研究会では、会員の皆様の豊富な経験や知見を共有し、互いに学び合う場を
提供していくことを目指しています。また、新しい分野への挑戦や共に学びたい方々を
支援する活動も積極的に進めていきます。
現代の日本経済は、人口減少や高齢化といった中長期的な課題に直面しています。
特に、阿部正浩教授の予測モデルでは、2030年には644万人の労働力不足が見込まれており、
サービス業や医療・福祉業界で深刻な人手不足が予測されています。こうした課題に対し、
当研究会でも意見交換の場を設け、建設的な対話を通じて解決策を模索していきたいと考えております。
また、学生のキャリア支援に関するネットワークをお持ちの方や経験を共有したい方も、
ぜひご連絡ください。共に知識を広げ、支援活動を深めてまいりましょう。
敬具

テクノファ実践研究会 会長 吉末 直樹
<次回の交流会(勉強会)についてのご案内>
これまで行ってきました勉強会を今後も継続いたします。「交流会」と名付けましたのは、
会員相互の交流を深め、さらなる発展を目指すスタートラインとして考えているからです。

【交流会の概要】
日時:10月12日(土) 午後1時30分~4時30分
場所:テクノファ川崎研修センター
発表テーマ:
・モラルについてのワークショップ(発表者 伊藤まき子さん)
・アスリートのキャリア支援(発表者 左雲昌樹さん)
・金融機関の社内キャリアアドバイザー事例(発表者 川原美奈さん)
申し込み先:
https://forms.gle/P9hkx8vC8riKB5Gr9
懇親会(希望者):
17:00~(2時間程度)
※場所・会費は参加人数により調整いたします。
この機会に多くの皆様とお会いできることを楽しみにしております。
お忙しい中恐縮ですが、何卒ご参加くださいますようお願い申し上げます。
申し込み期限:10月5日までにご登録をお願いいたします。
                                    以上
◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.140(2024年9月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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今回は、大災害が起こった際に使われることが多い「想定外」という言葉
について考えてみたい。

辞書で調べてみると、想定とは「こういう情況・条件だったら・・と仮に
考えてみること。」とある。

似たような言葉群としては、予見・予想・予断・見通し・目算・見越し・
予測・先見・仮説などが挙げられるが、未だ起こっていない未来の出来事に
対する憶測や類推等の中で「想定」とは敢えて意識的に想像することや様々な
情報を基に事細かに分析し推論を立てることと言えるだろう。
よって「想定外」とは、想定し切れなかった厳しい現実を表わす言葉である。

想定は、近い未来において起こり得るであろう好まざる出来事に対して備える
ために行なわれる。
もちろん「仮に」が前提なので、外れる場合もあれば、まったくお門違いの
結果に終わってしまうこともある。

ただ、こと「災害」についていえば、異常な自然現象や人為的な操作によって
人間の社会生活や人命に被害をもたらすことを指していることから、受ける
被害に重点を置いた客観的な意味であり、それを避けるためには意図して
過大的に捉えて扱うことが肝要である。

というのは、大袈裟な予想を立てたものの、実際には思ったほどの被害がなかった
ならば「けっきょく無駄な苦労だったねえ」と互いに顔を見合わせながら笑って
済むのだが、一方で「どうせたいしたことにはならないだろう・・」と過少評価的
に見積もった結果、それこそ想定を超えた大災害によって途方もない損失を被る
ことになるからである。

ここ数年来、ずっと言われてきた「南海トラフ地震」においても10階建ての
ビルに相当する35m級の津波が押し寄せるといった推測や、災害の規模に
比例して起こる経済的損失、そこで失われることになるかもしれない人命の数に
至るまで詳細なシミュレーションが行なわれている。

このような悲劇的結末を避けるために、または最小限に抑えるために我々はなにが
できるのだろうか。

我々は常日頃から「想定外」に出くわすことが多い。

たとえば、台風が近づいているのに旅行に出た結果、新幹線が立ち往生して列車の
中で一夜を明かしたなどと言う話を聞けば、周囲から「そうなることは想定できな
かったの?」と呆れられるだろう。

また、農業を営む方の中には降りしきる雨の中を「田畑が心配だ」と様子を見に
行って命を落とすケースもある。
見に行ったところで集中豪雨が相手では何ら抗う術はないはずなのだが、安心を
求めるが故に見に行かずにはおれない。けっきょく命を失った上に「彼は、自分の
身が危険に晒されることを想定できなかったのだろうか・・」と言われることになる。

このことは、真冬に悪天候が予想されるにもかかわらず登山を強行したり、クマと
出くわす危険があると警告されたのにキノコや山菜を採りに山に入るのも同じである。
そのどれもが想定力の欠如に加えて、自分だけは大丈夫だ!という根拠のない思い
込み(正常性バイアス⇒確証バイアス)が招いた結果という他ない。

原子力発電所の建設に伴う地質調査も、豪雨に見舞われた際に浸水被害に遭わない
かどうかを示してあるハザードマップにしても、どれもが「ある想定基準」を基に
語られているわけだが、この想定について人々はどれほど本気で取り組んでいる
だろうか。お任せ的に他人事として捉えてはいないだろうか。

少なくとも「想定」は「確定」ではなく、あくまでも仮の前提に過ぎないことを
我々は知っておく必要があるし、決して個人(専門家とて個人でしかない)の
見解だけを以て安心することではない。

さて、このことは何も大災害や個人的な災難だけに限ったことではなく、企業に
おけるリスクマネマージメントにおいても同様かと思われる。

リスクマネージメントにはリスクが発生する前に対応策を講じることによる「回避」
を目的にするものと、実際にリスクが顕在化した時点で緊急的に対応する
「受容(危機管理)」の2つがあると言われるが、ここで注目したいのは前者の
「回避」についてである。

今どきの企業における具体例としては以下のようなものが挙げられるだろう。
コンピュータウイルスの感染や災害など ⇒ 企業の機密情報をバックアップ
として複数箇所に保管すること。

従業員のメンタルヘルス ⇒ 早期発見ではなく、あくまでも主眼は未然防止に
向けられること。

他にもいろいろとあるだろうが、いずれにしても、法務、コンプライアンス、
セキュリティなど、各分野の専門組織と連携しながら多面的かつ多様な見解を募り、
全方位的にリスクについて評価を行ない、そこで得られた情報については全体に
向けて共有化を図ることが肝要である。

全方位的に・・と云うからには、決して個人の主観的判断を基に行なうことで
はなく、チーム全体での取り組みが求められることは言うまでもない。

これについては、いかに専門家を名乗ろうとも所詮は個人の範疇でしかないことや、
専門家自身も人間である限り何らかの認知バイアスや固定化されたビリーフを
持っていることを踏まえておく必要があり、そもそも専門家に対する依存体質が
問題だという認識を持つことが大切なのかもしれない。
むしろ、専門外の素人なればこその突飛な思いつきもまた重視する姿勢が
求められるのである。

専門家に聞いた想定の範囲だけでは全てを網羅することなどできないし、
謝罪にすらならない言い訳的な「想定外でした」を性懲りもなく繰り返せば
「オオカミ少年」の如く信用を失墜することになるだろう。
つまり、想定すること自体が価値を失ってしまうのである。

かく言う私も心理や福祉領域の専門家の端くれのつもりではあるが、断言する
ことに伴う危険性については常に念頭に置くように心がけている。想定は、
どこまでいっても想定でしかない。

いずれにしても、リスクマネージメントは個人においても集団においても
極めて重要な問題である。

私は、危機を予想して予め対応策を練っておくことを否定するものではないし、
想定を無駄だというつもりもない。
ただ、「もうこれで万事OK!」などというものなど無い!ということを忘れない
ために、いまいちど「油断大敵」や「災害は忘れた頃にやってくる」などの諺を
噛みしめる必要があるのではないかと提案しているのである。

「とかく日本人は熱しやすく、冷めやすい」とか、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
などと言われることが多いが、コロナ禍も、津波や洪水による被害も、地震による
家屋の倒壊も、戦争による痛手も、広島や長崎が被った被曝も、どうやら我々は
時間の経過によって記憶が薄まってしまう傾向を持っているのは間違いないようだ。

私がお世話になった先生(師匠)は、「すべての死は自殺である」と言い切っていた。
加えて「災害に遭遇した際に、自分は被害者と思い込むのは、そこに自覚がないからだ」
とも言っている。

彼の主張は、あまりにも極端な気がするし、すべてのケースにおいて当てはまるのか
否かは別にしても、「災害による損失(自らの死も含む)、緩い想定から生まれた
悲劇である場合が多い」くらいは言えるのではないかと思うのだが、皆さんご自身は
災害を避けるためにどのような工夫をされているだろうか?
その想定は、何を基準にして設定するのだろうか?

いまいちど検討してみる必要があるのではないだろうか。
◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.139(2024年8月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"山岸由香利さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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キャリアコンサルタント養成講座第37期生(2019年1月期)の山岸由香利です。

今回この機会をいただき、当時のことを振り返ってみたいと思います。
当時は地方公務員として働いていましたが、毎日モヤモヤしていました。
自分が何をしたいかも分かっていませんでしたが、当時の仕事で定年まで働く気は全く無く、
「早く辞めたい」と思っていました。勤務して20年以上経っていましたが専門分野もなく、
他社でやっていける自信が持てませんでした。
また、周囲からは「安定している職業なのに辞めるなんてもったいない」と反対されました。
辞めて何をすると決めていた訳ではないので、実際に行動に移すこともなく悶々とした日々を
送っていました。管理職になれば自分も変われるのではないか、自分と同じように悩んでいる
職員の役に立てるのではないか。上司に声を掛けていただいた御縁も感じ、管理職試験に
挑戦し、数回目の試験で何とか合格しました。「これから管理職として忙しくなるぞ」
と気持ちを引き締めていた矢先に、父が倒れました。車の運転中に脳血管が切れ、交通事故を
起こしました。
意識不明の状態で病院に運ばれ、医師からは「寝たきりの状態になる可能性が高い」
「このまま意識も戻らないかもしれない」「意識が戻っても娘さんだと分からないかもしれ
ない」と言われました。3年前に母を亡くしていましたので、一人娘の私が父の介護を全て
しなければならない、そうなれば仕事も辞めなければならない、と目の前が真っ暗になり
ました。

今後どうしたら良いか、コーチ仲間に相談した時にキャリアコンサルタントの資格を持って
いることを知り、興味を持ちました。自分のキャリアについて考える良い機会かもしれない
と思い、テクノファの伊良波さんを紹介していただきました。友人と一緒に伊良波さんから
ガイダンスを受けたのは、忘れもしないクリスマスの夜でした。「何となく面白そう!」
「大変かもしれないけど、やってみたい」と友人と共に養成講座に申し込みました。

テクノファの養成講座で一番印象に残っているのは、CDWのワークです。
自分自身を振り返る時間を今まで持ったことがなく、泊りがけで人生の出来事を書き出す
貴重な体験でした。そして、その時に描いた今後の見通しで2023年に退職し、自分の好き
なことをすると書いていました。今書いた通りになり、思考は現実化すると実感しています。

当時は管理職に向けての準備、父の介護、キャリコンの勉強、そして愛犬の死など、
イベントが重なる時は重なるものだと思いました。自分の体調も芳しくなく、課題を出すのも
精一杯で、同期の仲間や伊良波さんに助けてもらいながら、何とか卒業することができました。

その後、無事にキャリアコンサルタント資格試験も合格し、取得して5年経ちます。
今では父の体調も回復し、半身不随は残りましたが意識も戻り、娘の私も分かってもらえて
います。実家近くの老人ホームでのんびりした日々を過ごしています。
私の身体も元気を取り戻し、管理職としての経験も積み、マネジメントや人材育成の面白さ
を知ることができました。
そして、改めて人生後半は人材育成分野に関わっていきたいという気持ちが強まりました。
長年勤めた公務員を昨年退職し、今はキャリアコンサルタントやコーチング、研修講師等で
独立開業しました。勤めていた時とは違った苦労もありますが、毎日楽しく、仕事に取り
組めています。

こうしたキャリアを積めることができたのも、キャリアコンサルタントの勉強をした
おかげと思っています。
中でも一番影響を受けたのは、ジョン・D・クランボルツ教授らによって提唱された
計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)です。キャリアは偶発的な出来事
で8割決まるので、日々の行動や向き合い方で計画的に機会を呼び、生かすことを説いた
キャリア理論です。
キャリアコンサルタントの中には、この理論が好きという方が多いように思います。
偶発性が起こりやすい行動特性として、
(1)好奇心(2)持続性(3)柔軟性(4)楽観性(5)冒険心の5つを挙げています。
自分と照らし合わせてみると、知らない仕事もやってみたい(好奇心・柔軟性)、新しい事に
も挑戦してみよう(冒険心)、何とかなるだろう(楽観性)という特性に基づいて、
今までの人生を歩んできたように思います。
キャリアコンサルタントの資格試験を目指すこと自体、偶然が重なったものでした。

「とりあえずやってみよう」と前向きに挑戦し、流れに身を任せて目の前の出来事に取り
組んでいたら、いつの間にか今に流れ着いた、そんな感覚です。
そして、また新しいことに挑戦しようとしています。
コーチングの学びも深め、国際資格を取得しようと勉強の毎日です。コーチングを学び
始めた頃も何となく好きそうという軽い気持ちで始め、まさか職業にするとは思っても
いませんでした。
これからもどんな未来が待っているか分かりませんが、自分を信じ、
「今」を全力で生きていきたいと思っています。
皆さんの人生も、より豊かなものになることを祈っています。

自分らしい生き方・働き方を見直したいビジネスパーソン向けにコーチングを提供して
います。ご興味がございましたら、ご連絡くださいませ。
連絡先:coachyukaring81@gmail.com

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.138(2024年7月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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「夢」って何だろうね?

心理療法のひとつであるSFA(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)の中に
「ミラクル・クエスチョン」という技法がある。

これは、今の時点で悩み苦しんでいる問題が解決した後の状況を具体的にクライエントに
想像してもらう際に用いるものだが、文字どおり「とつぜん奇跡が起こって目の前に立ち
ふさがっていた壁(問題)が一瞬で解決してしまったとすれば、どういった状態がイメージ
されますか?」といった具合に、敢えて意図的に想定してみることにより、自らの目標や
理想とする状況を明確化する効果があるとされている。

それと同時に、上記の質問によって「いまの自分に不足しているもの」や「求めていること」、
または「どのような欠乏欲求を持っているか」に気づくためのきっかけになる場合もある。

奇跡が起こるという想定に無理があるようなら「神様」が登場してもよいし、相手が子ども
なら「ドラゴンボールの神龍」でも、とにかく自分の力ではなく願いを叶えてくれる他力的
な存在がいればいい。
「魔法が使えるようになったら・・」でもいい。

いずれにしても、返答の内容に拠って自らの隠れた欲求が俄かに浮き彫りとなるだろう。

たとえば、「たまには遠出して温泉にでも浸かりたい」という願いであるならば、いまは
忙しくてゆっくりと休む暇すらない状況に在るという意味かもしれないし、「遠出」という
キーワードは、集団の場における喧騒を離れて義務や責任から解放されたいという耐えがた
い苦しみを表わしているのかもしれない。

他にも、どんな「夢」「希望」「願い」を持っているかによって、自覚していなかった
欠乏欲求が浮上してくることもある。

もちろん、いろんな夢があっていいのだが、「お金持ちになりたい」というのは明らかに
夢ではない。
そのお金で何を買うつもりなのか、何の費用に充てるのか?が全く以て不明瞭であり、
かつ曖昧である。

多くの場合、特に欲しいものがないけど、お金が欲しいというのは、経済的に余裕が
ないことで苦労したくないという怖れなのだろうが、そこには得体の知れない漠然と
した不安感があり、とにかくお金さえあれば大抵のことは解決しそうだ・・という
思い込みの産物かもしれない。

「あなたの夢は?」と問われると「YouTuber」とか「コメディアン」、または「声優」
や「パテシエ」といった具合に、言わば「憧れの職業に就くこと」と早合点してしまうのは
一般的な若者が持つ顕著な傾向であるが、先にも述べたように、その殆どが何らかの
欠乏を埋めるために選んだ職種であることが多い。

ある中学生の女の子は、弁護士か医者になりたいと言っていた。
これら両者は全く異質のものであると思われるが、何らかの共通点を見出すならば、
それはおそらく社会的な地位が高く、その称号によって名誉が得られるということでは
ないだろうか。
どうやら、この子はクラスのみんなから「すごいね」「たいしたものだ」と言われたい
&認められたいと願っていることの顕れなのだろうと思われる。(他者承認の欲求)

また、自分の存在に自信がなく、此処に居てもいいのだろうか?邪険にされないだろうか?
 自分など価値のない人間だ‥などと思い込んでいる者であれば、
「あなたが居てくれてよかった」とか「きみのおかげだよ」といった言葉や「感謝」
というシャワーを浴びたいがために福祉や医療などの「対人援助職」を選ぼうとする
ものである。(メサイア・コンプレックス)

このように、欠乏欲求を満たそうとして業種を選ぶのだとしたら、それは「夢」という
よりも単なる飢えを満たそうとする行為でしかなく、いかに憧れの職業に就くことが
できても偽りの充足でしかなく、本当の夢には程遠く、いつまで経っても到底たどり着く
ことはできないだろう。根本的な解消にはならないからである。

ついでに書いておくが、就職は断じて「ゴール」などではなく、ようやく「スタート
ライン」に立ったということである。
何のために、この仕事に就いたのか? この仕事を通して自分は何を為すのか?
これが明確でなければ一年も経たないうちに空中分解してしまうことだろう。
仕事は、人生における目的を達成するための手段にすぎないのだが、この手段を目的だと
勘違いしたために、せっかく憧れの職種に就いたのに、就職した途端に目的を失ってしまい
辞めたくなってしまうのだ。

お金儲けもまた同様である。
まるで餓鬼の如くお金を儲けることに全エネルギーを燃やして躍起になっている人がいるが、
「起きて半畳寝て一畳」という諺にもあるように、どんなに金持ちになっても、社会的な地位
が高い人でも、人ひとりが占める広さなど起きていれば半畳、寝るときも一畳あれば事足りる。
それを弁えていることが肝要だ。
その後に続く「天下をとっても二合半」は、いくら天下を取ったところで、所詮二合半以上
のお米など食べきれるものではないという意味となる。

つまり、たとえ使い切れないほどのお金を貯め込んでも、必要以上のものを欲しがったり
手に入れたとしても、けっきょくは墓の中まで持って行けるわけではないし、どうせ
使い切れないのだから、そんなに必死になって頑張っても無駄ではないか?
ということを言いたいわけである。

このように、我々が「夢」と呼んでいるものの正体は、単なる欲求不満の解消でしかないの
かもしれない。

さて、五段階欲求説で知られる心理学者「マズロー」は、夢への到達を「自己実現」という
言葉で表している。
ここで云う「自己」とは、未だ出会っていない自分をも含めたプロセス的な意味があり、
人は寿命が尽きるその瞬間まで変化し続け、成長に伴って捉え方や認識もまた進化(深化)
し続けることを物語っている。

ということは自己実現とは、ユングが提唱した「個性化(自分だけに与えられたかけがえの
ない意味を人生に見出し、それを全うして本来の自分を生きること)」とも概ね共通する
概念かと思われるが、これこそがキャリアを語る上で最も重要なテーマとして扱う必要が
あるだろう。

「夢」について語るとき、あくまでも自分の個性や指向性も含めて俯瞰的に考察しようとする
姿勢があれば、欠乏欲求や理想主義的な呪縛に囚われることなく、人生設計もまたユニークで
楽しめるものになると思うのだが、どうにも「我欲」が纏わりついて離れず、成長の邪魔を
してしまうようである。

キャリアカウンセリングは、その辺りのことを自覚するために自分の姿を映す鏡のようなもの
かもしれない。

キャリアプランについて自由に語り合うことが成立するための必要条件としては、
先ず1)実現が可能か不可能かを一時的にでも脇に置くこと(方法は後で考える)に加えて、
2)仮に金銭的な報酬が得られなくともやりたいことなのか?否か?を自分に問うてみること。
そして3)自分の人生の目的が個人的な範疇に留まらず、多くの人々にとっても価値や意義の
あるものとして胸を張れること(共同体感覚として)などの項目がクリアされていることが
重要かと思うのだが如何だろうか。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.137(2024年6月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"網野枝里さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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テクノファでの学び
                         35期:網野枝里
テクノファのキャリアコンサルタント養成講座を卒業してから
5年以上の月日が経ちました。伊良波さんと電車でばったりお会いしたことが
ご縁でこのようなコラム執筆の機会をいただき、大変光栄です。

養成講座に申し込んだきっかけは、
当時担当していたコンサルティング部門のキャリア支援のために専門的な知識を
得ることでした。キャリアコンサルタントの資格を取ることも
もちろん視野に入っていましたが、他の育成機関のカリキュラムと比較した際に
テクノファのカリキュラムは、実践的な内容が詰まっており、すぐに実務で活か
せる内容だったことが入学の決め手となりました。

研修で学んだことをヒントにして、キャリア診断ツールを作ったり、社員育成の
為の専門研修を作ったり、インプットとアウトプットを繰り返しながら、社員
みんなが喜んで実践できる仕組みを作れたことは私にとっても会社にとっても
大きな財産となりました。

特に影響を受けた研修カリキュラムは、メンタルヘルスです。
養成講座の中に含まれているメンタルヘルス研修をきっかけに、
社内でカウンセリング制度の立ち上げと社員へのサポートを強化する仕組みを
構築しました。
一人一人のキャリアを考えていく上でメンタルヘルスの観点は非常に重要です。
心身共に健全に働いてもらうためには、メンタルヘルスの観点から社員をサポート
ることの重要性に気付くきっかけをいただきました。

今ではセルフケアの考え方が組織に浸透し、相手の状態に合わせてコミュニケー
ションを変えていけるまでに社員が成長しました。
テクノファでの学びをきっかけに社員一丸となって組織を変えたいという想いが
ひとりひとりの繋がりを強くし、相手の状態にあったコミュニケーションスタ
イルを身に着けることができたことは組織にとって大きな成果だと感じています。

キャリアをどう支援していくか?がキャリアコンサルタントの役割だと考えて
入学しましたが、ひとりひとりが自分の人生をどう生きるか?というテーマに
寄り添いながら関わった方が心身共に健康でありながら、自分がありたい姿に
向けたどう生きていくかを支えていくこともキャリアコンサルタントとの重要な
役割だということを知る良いきっかけだったなと考えています。

現在は社内の活動だけにとどまらず、NPO法人に所属しながら心理カウンセラー
としての活動も並行して行っています。わたしが考えるカウンセラーとは、
専門的な知識やスキルに加えて、
『目の前のクライアントに対して、どこまで味方になれるか』
だと思っています。

クライアントの状況を聞かせていただき、同じ景色を見ることで同じように
クライアントの気持ちを味わえるカウンセラーとして、これからもお役に立って
いければなと思います。
テクノファの養成講座は、宿題もテストも沢山あり、通学していた3か月間は
それはそれは・・・大変でしたが、心優しい35期の皆さんに支えられなんとか
卒業することができました。何かを成し遂げるためには、支えてくれる仲間の
存在はとても大切だなと改めて実感しました。素敵な出会いもテクノファの
魅力だと思いますのでキャリアコンサルタントを目指す方、企業内で人事業務を
担当されていて、社内変革を起こしたい方はぜひお勧めの場所だなと思います。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.136(2024年5月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

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先日、『「叱らない」が子どもを苦しめる(ちくまプリマー新書449)藪下遊、高坂康雅』
という本から引用した記事を見つけた。なかなか興味深い内容だったので、さっそく
購入して読んでみることにした。

主な内容は、子どもが不快にならないよう、親は彼らの要求に応えるだけで殆ど叱る
ことをしない。このような風潮が多く観られるようになって、人生で遭遇するであろう
幾多の困難を乗り越えることができない脆弱な若者が増えているのではないか・・
といったところだろうか。

現在、不登校児童生徒の数は二次曲線的に増えており、全国的にも小学生では60人に
1人(2クラスに1人)、中学生では18人に1人(1クラスに2人)となっている。

ちなみに高校生は、概ね3ヶ月以上に渡って欠席が続いた場合、進級に必要な単位を
取ることができずに退学してしまう。それゆえ正確な数字は出てこない。
(不登校は、あくまでも在籍していることが前提であるために退学すれば数に含まれ
なくなる。)

いずれにしても注目すべき事態であることに変わりはない。

私は18年ほど前まで大学のカウンセラーを務めていたのだが、その頃から既に不登校に
なる大学生は多くいた。

この本に書かれていることは、けっして今に始まったことではなく20年ほど前から
徐々に増えて現在に至ったと思われる。最近になって急激な増加傾向が目につくように
なり、注目が集まったと言えよう。

このことは、せっかく希望の職種に就いたものの1年にも満たない期間で辞めてしまう
若者の数が多いことと無関係ではあるまい。

このような定着率の悪さに危機感を持った厚労省が音頭を取り、先行する企業が
「セルフキャリアドック」の導入に踏み切ったのも、この流れに歯止めを掛けたい思惑が
含まれていると思われる。

私には不登校になる一部の児童生徒と、ある日を境に出社しなくなり、急に辞めると
言い出す従業員とが重なって見えるのである。
しかも本人が辞表を提出して辞めるならまだしも、本人の代わりに母親が一方的に
電話で辞意を伝えてくるという過保護ぶりも気になるところだ・・

むろん「セルフキャリアドック」は、単に会社を辞めさせないことを目的としている
わけではなく、企業側と従業員との関係性において、労働に対する賃金だけではない
何らかの対価的価値を見出すことや、企業人という立ち位置の中で如何に自己実現を
目指すか・・など、幾つもの側面を持つことに意味があるので誤解しないでほしいのだが、
短い期間で「この仕事は自分には合わない」と言い残して辞めてしまう若者に対して、
すぐに「ミスマッチでした」と決めつけるのもどうかと思う。

たしかに、自分には合わないと感じるのは自由であるし、辞めたいという意思表示が
あるにもかかわらず無理強いさせるのも考えものだ。

しかし、本人が入社前に受けた説明と実際の内容とが食い違い、まるでかけ離れていた
となれば話は別だが、そんなことでもなく、たった数ヶ月、または数日という僅かな
期間だけで辞めるという結論を出してしまうケースを見ていると、本人の主張とは
異なる何らかの背景があるのではないか・・と勘ぐりたくなる。

というのは、ここ数年間に増えた不登校児童生徒も、以前とは違って何のきっかけも
前ぶれもなく、急に登校しなくなるという摩訶不思議なケースが増えてきているためである。

話を戻すが、本に載っている内容としては以下の項目について書かれていた。

主なテーマは「思い通りにならないことに耐えられない子どもたち」であり、
幾つかの例が挙がっている。

・ 授業時間が長いからと学校に行かない子⇒不登校

・ 都合が悪くなると「いじめられた」と主張する子

・ 炎天下に「気が済むまで」子どもを公園で遊ばせ倒れた母親

・ 迎えに来る人を指定する園児

・「娘が嫌がる活動はさせないで!」と保育園に要求する母親

・ 修学旅行中、担任に電話をかけてくる母親

・「授業中に私に当てないでください」と教師に注文をつける女子高生と母親

こういった例を「あり得ること(同意)」と捉えるか、または「異常だ(違和感)」と
感じるかは読み手の自由だが、少なくとも以前であればあまり見かけなかった光景
かもしれない。

いろんな子がいていいし、それを個性と呼ぶなら否定するつもりもない。
ただ、私が学校教育現場に身を置いていて感じていることは、この5年の間だけでも
子どもたちの様子に大きな変化が観られることである。

それは、先にも述べたように家庭教育や地域教育において「子どもを不快にさせない」
という風潮が高まってきており、親たちもそれを学校教育現場に要求する流れがで
きてきたことだ。
その結果として「思い通りにならない場面に耐えられない子ども」が多く観られるように
なってきたと考えられる。

本の中では「押し返される経験の不足」と表現されていたが、そういった養育方針が
「万能感」の拡大を許し、いずれ人生において出会うであろう困難な状況や歓迎したく
ない出来事に耐えることができず、克服しようとする前に背中を向けて逃げ出す
といった傾向を生み出しているのではないか・・レジリエンスの低さに繋がっている
のではないか?といった疑問が湧く・・ということなのだろう。

もちろん、同じ子などいるはずがないし、他の子と違っていることに何ら問題はない。
逆に、皆が同じ顔をして同じ格好をしている世界などゾッとする。

だから、他の人は我慢しながら頑張っているのだから、あなたも耐えなさいなどと
言うつもりは毛頭ない。
繰り返しになるが、誰しも違っていていい。同じであることで安心するのもまた妙な話だ。

だが、近頃になって俄かに流行り出した「多様性」という言葉を誤認したまま乱用し、
自分勝手な振る舞いが許され、イヤなことは避けて通るための言い訳に使うのは
如何なものだろうか?と思ったりもする。

また、本のタイトルにある「叱る」にしても、「怒る」と区別することなく遣っている
人は多いのではないだろうか?
「怒る」とは自らの中に湧いた不快な感情を短絡的に相手にぶつけるだけの行為であり、
怒鳴る声も大きい。
言うまでもなく相手は委縮し、投げかけられた言葉に傷つくと思われる。
おそらく反感を持つことだろう。

つまり、怒るというのは心に湧いた不快感を誘発させた相手に対して
「自分の気が済むこと」を目的に感情をぶつける行為と解釈できる。

一方の「叱る」は、冷静ながらも相手に対して必要だと判断した上で敢えて行なう
行為である。大声を出すこともない。むろん冷静であるが故に言葉も選ぶだろうし、
そこには相手に対する思いやりや愛が含まれている。
ならば、叱られている相手は「愛」を感じつつ、神妙な面持ちで話を聴くのではない
だろうか。

この「叱る」という行為は、先述したようにあくまでも「相手のため」であり、
しっかりと育ってほしいという願いと共に、相手にとってこの先も社会で生きていく
ために必要なことだから・・という想いが込められているのである。

それが為されることなく育ってしまった子は、きっと周囲から距離を置かれて孤立したり、
自分勝手だと非難されることは想像に難しくないし、柔軟さに欠けるために本来であれば
「いらぬ苦労」まで背負い込んでしまう展開もあるだろう。
家の中で許される行為も外の世界では通用せぬことを予め知っておくことは大切である。

ここはきわめて重要な点なので勘違いしてほしくないのだが、集団主義的に周囲の空気
を読んで迎合せよと言っているわけではない。
我々は行動を自由に選択できるし、自己決定あってこその自己責任であることに何ら
異論はない。

ただ、社会性を得ることは必要であるし、相手(周囲)と良好な関係を構築するためには、
自分の振る舞いが「相手からどのように見えるか・・の客観性」と、「他者からの指摘や
意見を受け入れることができる謙虚さ」くらいは持っていないと、
けっきょくは苦しむことになるだろうというのである。

「Z世代」という言葉を初めて聞いてから数年の月日が流れているが、すでに今は
「α(アルファ)世代」に突入しているという。

すでに高齢者となった私にとって、彼らについて行くのは難儀なことだが、なんとか
理解しようと努める姿勢だけは持っていたいと思うし、できれば世代間のギャップを
埋めるために、そして互いが歩み寄るためにも対話を試みたいと考えている。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.135(2024年4月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木泰子さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
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キャリアコンサルタント養成講座15期生の鈴木泰子です。

わたしは現在、色彩心理カウンセラーや講師として「その人の力を活かして
生きることのサポート」をしておりますが、そのモチベーションのベースに
なっているのが、テクノファでの学びです。

今から13年前、キャリアカウンセラー養成講座に出会うきっかけとなったのは
「仕事の悩みをどうにかしたい!」という切実な思いからでした。

当時、社会福祉協議会に勤務していた私はリーマンショック後の国の制度である
離職者支援・第2のセーフティーネット事業の相談支援員として従事し
毎日毎日「仕事がない」「住むところがない」「お金がない」「体調が悪い」という
過酷な状況にある方のご相談を伺っていました。

お悩みが深刻なだけに簡単に解決するご相談ではありませんでしたが、それでも
懸命に寄り添ってお話を伺っていたものの、ある時、「あんたらはいいよな、、」
という一言に、苦しくなったのです。

相談員として話を聞いて制度を案内するだけではダメなんだ!
明日どう生きたらいいかわからず不安な方へ相談員として何ができるんだろう…
と悩みました。

そして、主管である厚生労働省の制度担当者に、現場の状況と悩みを打ち明けて

「わたしの軸になるものが欲しい、私は何をしたらいいのでしょうか?」と尋ねたところ

「キャリアカウンセラーを学ぶといいのではないか」という助言をいただいたのです。

「キャリアカウンセラー?って何?」と思いながらも、早速厚生労働省ホームページに
記載されていたキャリアカウンセラー養成校一覧を見て、「テクノファ」という名前に
惹かれました。
そして優しい伊良波さんとお話しさせていただくうちに「私にできるかな?」という
不安はなくなり「ここで学べば自分の軸ができるかも!」と一筋の光を見出したような
気持ちになったのです。

実際授業が始まってみると、相談員としての話の聴き方、尋ね方、いまどの状態にあるか
など頭の中で整理しながら支援ができるようになり、「生活に困っているけど、自分が
どうしたらいいのかわからない」という方へも「お前ら、税金で食ってるんだろ!」
という方へもビクビクすることが無くなったのです。

キャリアカウンセラーの資格を取得する頃には、相談支援をする上での軸がしっかりと
でき、以前のような「どうしよう、、なんて言ったらいいかな」という不安もなくどっしり
とした気持ちで窓口に入る自信もついてきました。

2015年に困窮者自立支援制度が施行され、立ち上げメンバーとしてこの制度の相談員
も兼任。離職者だけでなく生活にお困りの老若男女問わずのお悩み解決へ支援が広がり、
さらに多様な相談を受けることになりました。

でも支援を通して現状を脱する機会にできる人ばかりではありませんでした。
使える制度は変わらないのに、状況を変えられる人と変えられない人、チャンスを
ものにできる人とできない人、この違いは何なのだろう?と考えたところ、変化を
得られたケースはやはり内的キャリアまで導いていけた方で、内的キャリアが
見出せたかどうかの違いだったのです。

ご本人も自覚していなかった内的キャリアを一緒に見つけ出し、その方の働く意味・
意義、大事にしたいことが段々と明確になってくると、どんどんと前向きになって
行かれました。無事就職し名刺を見せに来てくださることがとても嬉しかったのを
今でもよく覚えています。

2019年に地域包括支援センターへ。10年間の相談支援員の経験を生かしてほしいという
意図での異動でしたが、介護保険制度ありきの支援体制に困惑することばかりでした。

高齢者の自殺未遂は思ったより多く、高齢になっても生きることの辛さが続いている
現状にぶち当たりました。「もっとなにかできないのだろうか」と思い悩みましたが、
高齢になる前に自分自身の在り方や環境を整えておくことが大事だと痛感したのです。

「では私に何ができるのか?」とモヤモヤと悩んでいた頃に、自己理解・他者理解が
目で見て理解できる色彩心理学と出会いました。「色でこんなに簡単に、自分の個性も
気持ちも丸ごとわかるなんて!凄すぎる!」と驚きから始まり、色彩心理学の学びに没頭。

「もっと自分を大事にその人がその人らしく生きていけるサポートがしたい!」
という思いがあふれ2021年長年勤めていた社会福祉協議会を退職しました。

現在は、今までの経験や色彩心理学をベースに

・自分の長所を見出し生かす方法
・人材の適材適所診断
・身近な人間関係が改善するコミュニケーションのコツ
・苦手なあの人との関係性が楽になる接し方
・自分の気持ちを理解し未来にどう生かすか

等のリクエストをいただき、行政、社会福祉協議会、地域包括支援センター、
デイサービスセンター、訪問介護事業所、就労準備事業所等、中学校、幼稚園、
保育園等、企業様で講座や研修をさせていただいています。

最近、講座や研修のご依頼時に最も多く言われるのが「自分の良さを知ること」
をテーマにして欲しいというご希望です。公的機関(就労準備事業所や中学校など)
からのご依頼も多くなっており、私が相談員をしていた頃は資格取得などの
外的キャリアに国の予算をかけていたと思いますが、現在は内的キャリアに
視点が向いてきたのではないかと感じます。

受講してから13年経った今、今野先生はじめ諸先生方からの教わってきた学びと、
自らの経験とが重なって「なるほどこういうことだったのか!」
と謎が解けたように実感するたび

内的キャリアを学んでいて良かった!キャリアカウンセラーであることを
大事にしてきて良かった!と思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈2011年5月21日第1回目、今野先生の授業のノートより〉

自分の人生は自分が主人公。

どういうことに興味があり、どういうことを大事にしたいか内的キャリアがハッキリ
していると方向性がハッキリしてくる!偶然的なチャンスをチャンスとして掴める!

クライアントの役に立とうとするなら、これしかできないというわけにはいかない。
いろいろな鑿(ノミ)を使い分けられることによってよい仕事ができる。だから勉強する。
15日間(の授業)修了後からが本当の勉強をすることになる。

「その人がその人らしく生きていけるように専門家が行う心理的支援」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東日本大震災の余震がまだ続くころ、授業の冒頭で今野先生がおっしゃった言葉は、
いつしか私の仕事の指針でありモチベーションのベースとなりました。

起業して3年。「その人がその人らしく生きていく」そのサポートを心からしたい!

そして「内的キャリア」を見つけることを大切にしたい!と思い起業に踏み切ったのは、
私の中に今野先生の言葉が染みついていたからかもしれません。

私が使命感を感じていた仕事を辞めてまで伝え続けたいこと、その真ん中にこの
今野先生の言葉があります。テクノファ授業ノートは今でも私のバイブルです。

これからも学び続け、いろいろな鑿(ノミ)を増やし使い分けて、
その人がその人らしく生きられるサポートを続けていきたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。
◆おわり◆