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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.98(2021年3月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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未来への分水嶺 これからの企業に求められるもの

この数カ月間、テレビでもネットでも「カーボンニュートラル」という言葉を耳にしない日はない。
1997年12月に採択された京都議定書から既に23年ほど経過しているわけが、ロシアの永久凍土の崩壊や
南極の氷が融けて地表が露出してきていること、他にも気候変動が目に見えて悪化し世界各地で
災害が頻発している実情を踏まえ、いよいよ差し迫った問題として取り上げられるようになったのだろう。

京都議定書は、京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議で採択された
気候変動枠組条約に関する「世界との約束」であり、「もはや我々は、一刻の猶予も許されない
切羽詰まった状況下に在る」という前提で決議に至ったはずだった。議定書は参加している先進諸国に対して
「温室効果ガスを2008年から2012年の間に、1990年比で約5%削減すること」を要求している。
それに加えて国ごとにも温室効果ガス排出量の削減目標を定めており、この取り決めによってEUは8%、
アメリカ合衆国は7%、日本は6%の削減を約束した。
もっとも、後にアメリカが京都議定書を批准しないことを表明して約束を破棄してしまったことは
極めて残念であるし、それ以外の国々も公約を達成できないまま現在に至っている。
専門家に言わせれば2030年までの10年間が勝負だという。いま我々は、このまま破局を迎えるか、
それとも持続可能な社会を実現できるかの瀬戸際に在るのだ。
「一刻の猶予も許されない・・」と言われていた状況からさらに長い年月が流れていることが気がかりではあるが、
かつて京都で採択された削減目標は国際社会が一致協力して地球温暖化に取り組む大切な一歩となったのは
確かである。迫りくる危機を回避するために、我々は意志的に希望を打ち立てるしかないのだろうが、
人間は決して愚かな存在ではなく、いつの日かエゴを克服し、全体性に向けて意識を馳せることができる
レベルに変容できると信じたい。

温暖化対策は、新型コロナウイルスを如何に終息させるかの問題と同様に捉えることができる。
たとえば、感染拡大を避けるために水際対策に力を入れて鎖国状態とし、なんとか自国だけを守ることが
できたとしても他国との交易が遮断されたままでは経済的に立ち行かなくなるし、ワクチンや治療薬を
入手できたとしても一部の国々だけでなくアマゾン流域やアフリカの奥地に至る隅々まで行き渡らなければ、
いずれ変異したウイルスの巻き返しに遭い、再び感染が拡大してしまうことだろう。
世界が同一の方向に向けて一本化されない限り終息には至らないのである。
その点では、近年幾つかの国々に観られる「自国第一主義」的傾向は、
ことパンデミック対策には全く当てはまらないどころか逆行していることは明らかだ。

要は「自分たちVSやつら」、ミクロ的には「自己と他者」という垣根を高くしているだけであり、
このような政策を続けていては互いに力を合わせることなど到底叶わない。
宗教の違いやイデオロギー論争を超えて世界の国々が一致団結しなければ解消できない点においては、
単に温暖化対策のみならず環境問題もまたまったく同じ形として捉えることができるだろう。
環境について議論するのであれば、世界を構成する個々が「部分と全体」を等価値に捉えられる観点を
以て地球的規模の視野で考察を行なう必要があるのだ。

いまから半世紀ほど前、我が国が高度成長期の真っ只中にあった時代、
環境問題といえば「公害」というキーワードで語られていたことが思い出される。
公害は、いまでこそ「経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって環境が破壊されることにより
生じる社会的災害」と定義されているが、当時は自分たちにとって身近な問題にはなってはおらず、
感覚的には対岸の火事というか自分の生活圏には無関係な他人事であったように思う。
解りやすい例を挙げれば、一部の企業が危険な化学物質を含んだ汚染水を浄化せずに垂れ流したことで
下流域や近隣に住む人々が深刻な健康被害を受けたという「加害者VS被害者」の構図である。
けっきょくは被害者らへの賠償責任を問われる形で決着することになるのだが、化学物質に汚染された水が
土壌深くに浸透沈着し、それ以降は田畑として使えなくなってしまうことや、河川から海に流れ出して
海洋汚染に繋がるところまでは想像していなかったのではないだろうか。

光化学スモッグの発生によって大気が汚染され、それをなんとか封じ込めようと世界中の自動車メーカーが
製造責任を果たすために低公害エンジンの開発に取り組んだ時期があった。
他にも似たような例は幾つも挙げることができるが、そのいずれも常に提供する側と消費者、言い換えれば
「加害者と被害者」でしかなかった。

しかし現状を観るに、温室効果ガス(CO2)も、マイクロプラスチックによる生態系への影響も、
生ごみの焼却によって大気中に拡散するダイオキシンも、すべて一般庶民が日々の生活において生み出して
いるものである。河川を汚しているのは他でもなく我々が台所から平気で流している生活雑排水であり、
何気なく飲んでは捨てているペットボトルであり、夜になったら各部屋に灯される照明や冷暖房で消費される
電力は化石燃料を燃やすことによって作られており、通勤やレジャーで使う自家用車の燃料も同様である。
(電気自動車も電力を消費する意味ではゼロエミッションではない。)
この一年を振り返れば、数十億人が使い捨てたマスク(不織布はプラスチックで作られている。)
によって海洋汚染がさらに悪化している。当たり前のように下水に流している歯磨き粉や洗い流した
ファンデーションも海を汚している元凶のひとつなのである。
そこには以前のような悪役としての「加害者(犯人)」はいないし、単に弱者としての「被害者」もいない。
すなわち我々自身が被害者であると同時に加害者でもあるのだ。

温暖化対策や環境問題について考察するためには、このような「個人と全体」を理解するための
システマチック的(円環的)な観点と連鎖の文脈を知ることが重要であり、
誰もが自身に降りかかる問題として認識する必要がある。
とかく日本人は熱しやすく冷めやすいと言われるが、福島第一原発が被った多大な被害は未だ継続中
であり終息の目途すら立っていないし、つい先日も地震(震度6)によって状況が更に悪化したという
ニュースを聞いて一時的に不安に駆られたとしても、数日もすればまた忘却の彼方である。

さて、ここにきてようやく一般にも知れ渡ってきた感のある「SDGs(持続可能な開発目標)」だが、
これが2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた国際社会共通の
目標であることを皆さんはご存じだろうか。
「持続可能な・・」という言葉は、けっして大袈裟でなく「このまま何もしなければ茹でガエルの如く
徐々に世界は終焉に向かう。人類の存続が危機に瀕している。」という意味を孕んでいる。
だが、せっかくの目標も、人々がミクロないしメゾレベルで捉えてきた世界観(独善的で狭い視野や
限られた思考の範囲)に対する認識を変え、マクロ的かつ利他的な視点を獲得できなければ達成は困難だ。

そこで環境省は文科省とも手を組み、学校教育現場においてもSDGsを取り入れることを決めた。
幼いうちから広い視野を以てものごとを判断できるような育成プログラム(カリキュラム)を
導入しようというのである。
ならば、当然の流れとして企業体もまたそれぞれの地域社会におけるリーダー的な存在として啓発に
努めることも重要な役割のひとつとなるだろう。国内だけに留まらずグローバル化が進んでいる
産業界にあっては当然の使命と言えるかもしれない。
いまの状況からして、各企業が利潤の追求だけに明け暮れ「自分たちだけが良ければ、それでいい」、
または「勝ち組・負け組」などと言っていては世界の潮流から取り残されてしまうというわけだ。
これからの企業は、自ら率先してSDGsを実践できていなければ社会から認められないという流れが
起きつつある。むろん、企業が人で構成されているかぎり、その集団に属する者たちもまた個々に
認識を新たにする必要があるだろう。
(この件に関しては2014年にフレデリック・ラルーの著書「Reinventing Organizations」で紹介された
「ティール組織」が参考になると思われます。)

さて、ライフキャリアの最終地点が「マズローの5段階欲求説」で表された自己実現であることに異論を
唱える者はいないようだが、じつは晩年のマズローが自ら訂正を試みていることはほとんど知られていない。
マズローは後に「自己実現が最終地点ではなかったようだ。
自己という段階すら超えて成長を果たした者たちを私は見てしまった。」と語ったという。
それは個人を超えた段階。つまり6段階目にあたる「超個の段階」としてトランスパーソナルと名付けた。
トランスパーソナルの段階に至った者はエゴを克服し、全体を自分自身のことのように捉えることができる力を
獲得できているために世界のすべてが身近に感じるという。
 私はこの話を初めて聞いたとき"お釈迦さま"を連想してしまったのだが、幾多の先人たちが目指した
人間の成長モデルとは、共同体感覚に目覚め成熟の域に達した姿を指すのではないだろうか。
大企業のトップに昇りつめた経営者が社会貢献に向けて働き掛けを行なおうとする例は多い。
それが承認欲求に拠るものか、それともトランスパーソナルの段階に達したからなのか、
本人以外は知る由もないが、2030年までに皆が超個的な視野を持てなければ世界が荒廃に向かうことは
避けられないだろう。
(※ 日本には「日本トランスパーソナル学会」/「日本トランスパーソナル心理学/精神医学会」
という2つの学会があります。興味のある方は検索してみてください。)

「Win-Winは、もう旧い」と言われて久しい。
自分たちだけの利益のみを追求することをよしとせず、社会全体の幸せを願う「買い手よし、売り手よし、
世間よしという(近江商人が云う「三方よし」)」の精神は現代のCSRにつながるものとして世界から
注目されているようだが、それもまた既に旧いのだという。
なぜなら、そこには肝心な「未来の人々」が対象となっていないからである。
今後、企業が持続可能な開発目標(SDGs)を実践しようとするならば、「三方よし」から、
これから生まれてくる「未来の人々」をも加えた「四方よし」が一般的になものになると思われる。
未来を見据えた経営とはなにか? 進むべき道は何処か? 我々は岐路に立たされているのである。

◆終わり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.97(2021年2月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"佐藤浩一さん"

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はじめましてテクノファ養成講座34期修了生の佐藤と申します。

2年前にキャリアコンサルタントの資格取得は取得したものの
カウンセリングの機会を得ることが難しい現実があることがわかりました。

カウンセリングのスキルを上げていきたい点と同時に
キャリアに関する知識を得るためにも何かしらの活動をしなければ・・という思いで
NPO法人に入り研修講師としてキャリア教育に携わる形となりました。

それまで講師経験は無く、人前で教える立場なる事などは考えもしませんでした。
最初は、何とかしてやろう、何とかなるだろう、という勢いだけで挑みました。
やってみると(当然、反省点や改善点は多々ありますが・・・)
やりきった疲れと共に、わずかではありますが
自分自身がやりたい事と重なったという自己肯定感を感じる事が出来ました。

研修を行った反省点は次回のために繋がります。
人に伝える事前準備としてインプットが重要である事を痛感するようになりました。
併せて、アウトプットを前提としたモノの見方に切り替わった感覚を得ました。
研修、動画、書籍を見る際も「良いフレーズ」や「重みのある伝え方」や「心に響く言葉」を
もし自分だったらこう伝えようという意識が持てるようになりました。


研修は対面もありオンラインもあり様々です。
ツール類も便利なモノ、新しいモノが色々出ています。

先日は製造関係の会社の若手社員向けキャリア教育を担当することになりました。
オンライン(zoom)と対面のハイブリット形式との事でしたので
コメントスクリーンを使用して受講者のアクションを共有するのが良いだろう?!と考え
事前にウチの娘(中3)を相手にzoomで試したのですが
「画面見ながら別のウィンドウ開いて、サイズ調整して、キーボード打つとか無理」と言う感想を受けました。
受講者のリテラシーと全体スケジュールを考慮し
結果としてzoomのチャットをそのまま利用する形で行いました。
面白いツールがその時の受講者に対してベストなツールでは無い事に気づきました。

また、その研修では事前にパーティのクイズで使うような表に○、裏に×が書いてある棒を準備していました。
思っていた以上に、このアナログのマルバツ棒が使えました。
こちらからの質問に対して
ミュートを外す手間も無く、声を出す必要も無く、両手で動作する事も無く
手元の棒で返答が出来るため反応が受け取り易かったです。
これも新たな気づきでした。


カウンセリングであっても研修であっても
カウンセラーや講師の立場の人が
相手の事を考えて、相手に併せた形で導くまたは寄り添う
という事が大事なんだろうなと改めて感じる出来事でした。

引き続き、キャリア教育を伝える経験を積むと共に
カウンセリングの場を得られるようアクションしていきたいと思います。
  ◆終わり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.96(2021年1月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

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「一年の計は元旦にあり」
世界中の誰もがけっして忘れない年になるであろう2020年が終わり、新たな年を迎えた。

「一年の計は元旦にあり」というが、ちょうど一年前に友人と今年の抱負について語り合ったことは
覚えているものの、振り返ってみても自分が何をやっていたのかほとんど思い出せない。

兎にも角にも状況の変化に翻弄され続け、その場しのぎ的に対応するだけで精一杯であったし、
なにかと時間に追われている間に時の経過を忘れてしまっていた。
除夜の鐘を聞きながら我にかえる方も多いのではないだろうか。
まさかこのような未曽有の危機に見舞われようとは、いったい誰が予想できただろう。

もちろん、地球規模での温暖化によって北極付近の永久凍土や南極大陸の解氷が進み、
人類が未だかつて出会ったことのないレトロウイルスに遭遇するであろうことは以前から
危惧されていたことであるし、それゆえ近い将来パンデミックが起り得ることも予想の範囲内ではあったものの、
原因はともかく実際に起こってみると、人間が築き上げた「社会システム」が如何に脆弱であったか、
そしてまた経済も微妙なバランスの上で辛うじて成り立っていたことを思い知ることとなった。

あたかも空気を奪われて初めて「呼吸できることのありがたさ」に気づかされるが如く、
我々はただ漠然と「今日と同じような明日が当然のようにやってくるに違いない」と思い込んでいたように思う。

人は、予想外の事故や災害に巻き込まれ、思いもよらず突然に死が訪れることもある。
なんとなく具合が悪いからと検査を受けてみれば、いつの間にか癌に侵されていることだってある。
「備えあれば憂いなし・・」そうだろうか。

今回のパンデミックに関しては「想定外」という前置きを抜きには語れまい。
たしかに過去の経験から学べることは多いだろう。
しかし、想定を遥かに超える未経験の出来事に対しては備えようがない。
その意味で我々は無防備であることを認めざるを得ない。
少なくとも昨日までの流れを観て明日以降の展開を予想することなど不可能だと思えてしまう。

さて、僕が小学生だった当時(1960年代)、親や教師たちは「継続は力なり」とか
「塵も積もれば山となる」といった言葉を教育の柱に据えていたように思う。

特に「初志貫徹」や「一意専心」といった四文字熟語は、よく関取が横綱に昇進した際の挨拶で
遣われたりもするが、学校教育現場でも3学期が始まってすぐに行なわれる「習字(書き初め)」の
候補として挙がっていたことが思い出される。

たしかに70年代における飛躍的な経済成長の過程において「努力」という二文字は、
なにか事を成すためには欠かせない必要条件として扱われていたし、我武者羅に頑張る姿こそ美しいという
思い込みから生まれた多くのヒーローが"スポ根"系の漫画やアニメ作品の主人公として活躍していた。
それがまた、幼かった僕たちの"成長モデル"として機能していたのである。

その後、80年代に入ると、とある栄養ドリンクのCMで使われたキャッチコピー「企業戦士」や
「24時間、戦えますか。」といったフレーズが思い起こされるが、似たようなニュアンスを持つ言葉で
遣われる「粉骨砕身」や「愚公移山」など、"怠らずに努力を続ければ、どんな事業でも必ず成功する"
といった希望的観測ともいえる認知と戦後の混乱期から抜け出せた喜びを背景に持つ"理由づけ"として
一般的化したのではないかと思われる。

だが、いまこうやって冷静な観点からこれまでの歴史を振り返ってみると、それらの言葉が本当に
的を射ていたのか判らなくなってくる。

「努力さえすれば必ず実現する」と言われても、その方向性に何らかの誤りがあれば望ましい成果など
得られるわけがないし、「初志貫徹が大切だ」と思って取り組んでも、状況の変化を観ないまま
今のやり方に固執するならば先に待ちうけているのは失敗であり、事と次第によっては奈落の底に
転落してしまうだろう。

デミングが提唱する"PDCAサイクル"を前提に捉えるならば、「Cが機能していないだけではないか!」と
指摘を受けても仕方がないだろう。となれば、それらに代わる新たな姿勢を以て臨む必要がある。
その意味で、いま最も重要な鍵を握る言葉は何か?ということになるのだが、僕としては「臨機応変」
、 または「当意即妙」、「融通無碍」などの語群を挙げたい。

これらに共通する意味合いとしては、昨日までの流れを大切にしつつ、かといってそれだけに囚われず、
自由な発想を以て状況対応的に発想し、そして変幻自在に選択しようとする姿勢である。
言うならば、如何に「いい加減」であり「適当」になれるかであろう。この場合「いい加減」とは、
湯加減とか塩加減といった具合に丁度いいという意味であり、
大枠としては適して当たっているということである。

以前、ある社長さんから「鈴木さん、教育現場にいるんだよな? どこかに面白いヤツはいないか?」
と尋ねられたことがあった。
そこで「面白いヤツとは、どんな人を指して仰っているのですか?」と聞き返したところ、
彼は「もちろん変なヤツのことだよ。いま我々は画期的かつユニークなアイデアを求めている。

ユニークなアイデアはユニークな人財(人材)からしか生まれないだろ?」というのだ。
なるほど・・企業が勝ち抜くために他との差別化は欠かせないファクターだ。それは当然である。

いまどき優秀な"人材"など求められてはいない。
いかに高い能力を具えているとしても、いまどきの企業は新人教育や育成に時間をかけてあげられるほどの
余裕はない。その意味では新卒よりも経験者が優遇される時代である。
窮地を脱するためにも新たな発想を生み出せる"人財"が望まれるのだ。

誤解してほしくないのだが、僕はけっして努力することを軽んじているわけではない。
主体的に臨む「努力」は尊いものであり、他者によって強いられる「我慢」とは異なる意志的な
「辛抱」や「忍耐」と同様に、必要性を自覚した上での自己選択であればもちろん大きな価値がある。

ただ、現在の方向性を確認することなく闇雲に走り続けることに疑問を呈しているのである。
先が読めないかぎり、そこに求められるのは柔軟性であり、発想の転換であることに異論はなかろう。
人は、無自覚なまま状況に翻弄されてしまいがちであるが、だからこそ思い切ってリフレーミングして
観ることから突破口が見えてくるのではないだろうか。

ところで以前にも幾度か紹介させて戴いているので繰り返しとなるが、今もっとも注目されている
キャリア心理学者のひとりと言われる"クラン・ボルツ教授"が、じつにユニークな理論を展開している。

それは「プランド・ハプンスタンス・セオリー」と呼ばれるもので、
そのまま訳せば「計画された偶然性」というものだ。

果たして偶然を計画することなどできるのか?と疑問に思われるかもしれないが、ただ待っているだけではなく、
意図的に偶然を生み出せるよう積極的に外に出て行動したり、敢えてこれまでと違ったアプローチを試みてみたり、
周囲で起こっている事象に対して心を研ぎ澄ませたりすることによって新たな出会いや展開を創出しようという
提案である。

いまコロナ禍の中で、長年続けてきた恒例行事を改めて見直してみたり、
様々な工夫を凝らすことで難局を乗り越えようとする動きが活性化している。
これまでのように前年度のやり方を踏襲するだけでは前に進めないからだ。

この機会を"カベ"と捉えるか"チャンス"と見做すかもまた選択の自由なのだが、
いま何かにしがみついているために両手が塞がっていては新たなものを掴むことはできないのである。
  ◆終わり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.95(2020年12月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"中谷敬子さん"

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「みんな違ってみんないい」で、「自分を信じて努力することの価値」を伝えたい
                                
中谷敬子

私は、技術系高等教育機関の教員である一方で、週末にはライフワークとして、
ものづくり好きの若者達とその親御さんとともに、工作を楽しむプロセスで、夢につながる技術と心を育てる
メイカーズクラブをしています。
親御さんとともにキャリア支援の視点から個性派で魅力的な若者たちが、
好きなことに取り組むことで自ら輝く姿に、キャリア支援のすばらしさと携わる幸せを感じています。

●はじめに「今の若者は努力しない?!」
「昔の子どもと比べて、今の子は努力しない。ハングリー精神とかガッツがない。」
「個性重視の『みんな違ってみんないい』が努力をしない若者をうみだした。」
こういう言葉を時々耳にします。
さて、今の若者たちは、本当に、努力も、ハングリー精神もガッツも無いのでしょうか?
「ガッツ」とは何でしょう?デジタル大辞泉では、「がんばる気力。根性。」と、解説されています。
ここでは、努力のもととなる「ガッツ」はどこから来るものなのか、どのようなプロセスで、それが生まれるのかを考え、
努力(ガッツ)を支援するとはどういうことかを考えてみたいと思います。

●ひとりひとりの「その人らしさ」を大切にするということ
「みんな違ってみんないい」がよく聞かれるようになったのは、初等中等教育現場で、「個を大切にする教育」が
進められたころだったように思います。
「画一教育」「均質教育」ではなく、「ひとりひとりの個性を大切にする教育」は大切な考え方だと思います。
しかし今、この「みんな違ってみんないい」が、「優劣をつけない(明らかにしない)」という教育に
読み替えられているように思います。

金子みすゞは、優劣について触れているわけではなく、「小鳥」も「鈴」も「私」も、みんな違っていて、
それぞれの持つ特別さがそれぞれにいいと言っています。
この一節を取り出して教育に持ち込んだ先達の意味合いは、みすゞの意図そのままに、「個性の受容」を意味していたと思います。

人間の成長の場としての教育現場で、その意図を、一歩進んで、「『まず』、そのままの自分を受容しよう」と伝えています。
「ひとりひとりが受容される大切な存在なんだよ」という意味だったのだと思います。
「あなた(自分)を受け入れていますよ。そのままで大切な存在なんですよ」と伝えています。

●個性にあぐらをかいてはいけない
ところが、「あなたを受け入れていますよ。あなたはあなたのままで大切な存在なんですよ。
あなた自身をまず好きになってください」ということを、その意図をきちんと伝えていないと、色々なところで支障が生じます。
「ありのまま」と、「そのまま」であることにあぐらをかいて、安住している様子を見かけることがあります。
「あなたのままでいいんだよ」は、「努力しなくていいんだよ」ではありません。
もっと、分かりやすく言えば、「みんなちがってみんないい」「あなたのままでいい」の二つの表現は、
「自分のありのままを『受け入れること』の大切さ」を伝えているのであり、もっと踏み込めば、「自分の成長を信じていいよ」 ということを意味しているのです。
個性を受け入れることは大切だけれども、個性だからと特徴だからと、成長や発達の努力をしないのは、
間違っていると思うのです。
「ありのままの自分を受け入れる」と同時に、「自分の成長を信じる」をセットにすることが大切です。
「自分の成長を信じる」ということは「今のままの自分のままではいないぞ」という決意でもあるのです。

●「ありのままの自分を受け入れつつ、認めない」は「自分を信じて挑戦すること」
「ありのままの自分を受け入れつつ、自分の成長を信じる」が、「今の自分の個性(特徴)にあぐらをかかない」ということです。 誤解を恐れずに書けば、
「今のままの自分を『受け入れる』」、けれども、「今のままの自分を『認めない』」
ともかけます。
「自分が望む自分になれると信じて、挑戦すること」ともかけます。

●小学2年生で逆上がりができなかった私の思い出
「今のままの自分を受け入れつつ、認めない(=成長を信じる)」とはどういうことか、分かりやすさのために、
私自身の体験談を紹介したいと思います。

私は、小学2年の時点で、逆上がりができませんでした。もしかしたら3年生だったかもしれません。
とにかく、授業で逆上がりを習っていた時期でした。クラスのほとんどが逆上がりができました。
「〇回出来たら、三角座りで待ちましょう」の、公開処刑的屈辱から逃れるべく私は近所の公園で自主練を始めました。
何日か続けると、手のひらの親指の根元の、ぷっくりと膨らんでいるところが全体的にマメになってきました。
それでも練習を続けました。そして何回目かに、バリッっという手のひらのマメが潰れる大きな音(と私は感じた)
とともに逆上がりが初めてできました。

ほとんどのクラスメートができている逆上がりでしたが、その時の、静かなしみこむような嬉しい気持ちを、
今でも、潰れたマメの映像と共に、鮮明に覚えています。
「鉄棒ができなくてもいいんだよ」ともし、先生が言っていたら、私は努力しなかったかもしれません。
ガッツを出さなかったかもしれません。「鉄棒ができない自分に価値が無い」とは思わなかったけれど、
「鉄棒ができるようになるはず」と自分を信じたのだと思います。
この体験は、「逆上がりができたかどうか」以上の事を私に与えたのだと思います。

●みんな違ってみんないいってどういうこと?
「みんな違ってみんないい」は、金子みすゞの詩の一節です。
私はこれに大賛成で、だからこそ、Maker's Clubで、若者達に、自分の持つ「特別さ」を大切にして、
成長・発達してほしいと思っています。
この「みんな違ってみんないい」を正しく解釈しておくことはとてもとても大切です。
何か、時々、この言葉が伝えたいことを誤解しているのじゃないかしら?と感じる時があります。
例えば、「できないのも個性」という表現を聞いたことがあります。
この表現が使われる文脈によって、その表現が伝えたい意味は大きく変わるので、この表現を全否定するつもりはありません。

しかし、少なくとも、「できない」ことをそのままにして「個性」という言葉で片付けているのなら、
それは、何かが違うと感じます。

(仕事などは別として、)若者たちをはじめとする発達段階では、「できるかどうか」だけでなく、
「できるために何をしたか」に注目したいです。失敗であったとしてもその努力に注目して、称賛したいです。

●「みんな違ってみんないい」と「努力の価値」
「みんなちがってみんないい」が、間違った解釈で一部の若者たちに伝わっている危険性は否定しません。
「あなたのままでいいんだよ」は、「努力しなくていいんだよ」ではありません。
時代とともに、文化も求められることも変わっていきます。同じである必要はないし変化するから進歩があるとも言えます。
でも、「自分の成長を信じる」ということの大切さは変わらない。
「今のできない自分も好きだけど、できない自分ができるようにと努力している自分が大好き」
と感じながら、日々を生きていくことが大切だと思います。
自分を信じることは努力に価値があると知っていることです。

●多様な社会がもたらした、「努力で報われるもの」の変化
メディアなどで、「努力しても必ずしも報われるとは限らない」ということを言う人たちがいます。
本当に、努力してもなんにも自分の人生に影響がないのなら、
「どのみち努力が報われないのなら、苦しんで努力するより、今が楽しけれりゃいいじゃん」
と思うのは当然です。
でも、本当に努力することは無駄でしょうか?
「これまでの社会は、努力すれば報われたが、今の社会では努力しても報われない」のでしょうか?
社会の変化から、そのことを考えてみようと思います。

●他者から与えられることを期待する褒美としての「報い」
「努力が報われない」でイメージする「報い」は何を指しているでしょうか?
「十分に努力したのに、報われなかった」という事柄です。例えば、
就職、昇進、などでしょうか?
これらの事柄に特徴的なのは、「社会」や「文化」が絡んでいるということです。
「努力は報われない」と言っている人たちの指す「報われる」事柄が、他者から与えられるものを指しているために、
不確実性が高い今の時代では、得られにくくなっているのだと思います。

●不確実な社会がもたらした、他者から与えられるものの不確実さ
昔の社会は、多様性が低かったと思います。
親の生きてきた経験を参考にして、その通りにすれば、同じような人生の予想が立つ時代だったのだと思います。
そのような社会では、人々の望みも似通っていたと思います。だから「努力」も「報い」もつながりやすかった。
時代と社会、文化が今は変わりました。
昔は、「努力の結果」得たいものは、「他者から与えらるもの」であることが多く、
その与えられる確実性がとても高かったということだと思います。
確実性が高かったのは、個人の求めることが似ていたからだと思います。
今は、「みんな違ってみんないい」に表現されるように、価値観も生き方も多様化し、社会も変わりました。
今は、多様で今と未来の社会は、過去の社会の延長線上に無い、不確実な社会です。
そのような不確実な社会では、自分の課題や人生を自分で考えて設計していくことが求められます。
なぜなら、「他者から与えられる」ことが「不確実」になっているからです。
過去の「他者から与えられることを前提に人生を設計する」という考え方は通用しない時代になったのです。
今の時代は、一つ一つの小さな課題も、人生全体も、自分で考えて行動していくことになります。
行動するということは、努力するということです。
そこでは、自分の努力を「誰かに報いてもらう」のではなく、「自分自身が努力を称賛(認める)する」ことが大切です。

●努力するということは、今を変えるということ
「努力する」ということは、「今ある何かを変える」ということです。
昔以上に、努力が大切な時代になってきていると思います。
「不確実な社会」に生きるからこそ、変化を前提として努力できることが大切になります。
「みんな違ってみんないい」は、とても大切なことを私たちに伝えています。
「みんなと違う自分を、不完全な部分も含めて受け入れて好きでいながら、
今の自分の成長する力を信じ、欲しい部分を満たすための努力する幸せ」に気づこうね、が、
「みんな違ってみんないい」であり、「あなたのままでいいんだよ」なのだと思います。
「真の意味での個性重視の『みんな違ってみんないい』」は、自分を信じるて努力をする人を育てることができると思います。
  ◆終わり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.94(2020年11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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主体的チームは企業を救う

※ 今回のコラムには幾つか専門用語が登場します。
アンダーラインを引いておきましたので、みなさんがお持ちのスマホを活用して検索しながら
お読み戴くのがよろしいかと思います。

今回は、「チーム体制の確立」について考えてみたいと思います。

皆さんは「チーム」という言葉を聞いたとき、どのようなイメージを持たれるでしょうか?

企業において社会の変動に流されることのない盤石な基盤を築き上げるには人材の育成が欠かせません。

従業員が持つ潜在能力を引き出すような育成が為されているか、個々の力を充分に発揮しながら
一丸となって取り組む体制づくりが構築されているかが重要な鍵を握っているといえるでしょう。
全体が一本化されているか否かで結果や成果に歴然とした違いが生じることは誰もが知るところです。

よく「チームワーク」という言葉を耳にします。
たとえば高校野球を観戦していると、まるで奇跡としか思えないようなファインプレイを
目にすることがありますが、おそらく深い信頼関係を基盤とした阿吽の呼吸があってこそ
可能になるのでしょうし、まさにチームワークの成せる業ということができるでしょう。

一方で「チーム」と似たようなニュアンスを持つ「グループ」という言葉があります。
学生時代に気が合う仲間同士が集まって飲み会を開いたり一緒に旅行に出かけたりといった経験を
持つ人は多いと思いますが、このような俄か仕立ての集団をも含め、単に馴染んだだけの浅い関係
であっても「グループ」を名乗ることができます。
また、何らかの研修会やセミナー等に参加した際に、
講師の指示によって初めて会った何処の誰か分からない人たちと一時的に集団を作って学ぶ、
所謂「グループワーク」を体験された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

どうやら「チームワーク」と「グループワーク」は、意味も内容も大きく異なるようです。
言わば、「グループ」とはそれほど深い出会いを伴わない集団を指す言葉であり、
同じ趣味を持つ仲間であったり、臨時的に組んだ集団といった具合に、
単なる群れや集合体を示す言葉のようです。
「グループ」は、それほど強い結束力はなさそうですし、
絆とか団結力などの表現も当てはまりそうにありません。
「クラブ」や「ソサエティ」、または「サークル」などもグループと言えますが、
今ひとつ頼りない感じがします。

一方の「チーム」ですが、『高業績チームの知恵~企業を革新する自己実現型組織』の著者である
ジョン・カッツェンバック氏によれば、『チームとは、ある特定の目的のために多様な人材が集まり、
協働を通じて相乗効果を生み出す少人数の集合体』と定義されており、明確な目的を共有する集合体を意味します。

いくら大きな集団であっても個々が目指す方向性がバラバラでは目標に到達できません。
しかし、ベクトルが絞り込まれ、皆が同じ指標に向かって力を合せることができれば
途轍もない力を発揮することでしょう。

近年、学校組織等においても次々に噴出する諸問題に対応する際に「チームワーク」は欠かせないものとなっており、
「チーム学校」といったスローガンを合言葉にチームによる対応が当たり前になりつつあります。
現在の学校では、これまでに遭遇したことがない複雑な案件が頻発しており、
経験豊富なベテラン教師や特殊な技能を身につけている教師(個人)の力量に頼った対応だけでは
解消が難しくなってきていますが、そのような現状において、複数人数の目による多面的な視点で事を
捉える姿勢は今や欠かせない条件になっているのです。

企業もまた、増々グローバル化が進行する中で、各社が生き残りを賭けて鎬を削るような厳しい状況に
晒されているでしょうし、特に今年度は新型コロナの感染拡大の最中にあって、
これまでの経験値や技術的な蓄積がまるで役に立たないという未曽有の危機に直面しています。

だからこそ、そこに所属するメンバー1人ひとりが知恵を搾って主体的に臨む姿勢が必要であり、
「参加者」ではなく、総ての従業員が自ら「参画者」であることを意識して立ち向かわなければなりません。

しかしながら、リモートワークという新しい勤務体形の出現によって、もはや通勤することには
意味がなくなりつつあります。
このままいくと、今後はチームに対する所属意識や団結力が次第に弱まっていくことが懸念されます。
今のうちに何らかの手を打たねばなりません。

ところで、もう40年も昔の話ですが、私は自動車製造メーカーであるホンダの社員だった時期があります。
ホンダといえば、いまや日本を代表する大企業のひとつに数えられますが、戦後生まれの企業として名を
馳せたSONYやオリンパスと並んで急成長を果たした企業として知られています。

私は、実際に社員として働く中で、とてもユニークなイベントを体験しました。
それは、たしか創立者である本田宗一郎氏の発案による「オールホンダ・アイデアコンテスト」
という恒例行事でホンダ技研工業を中心とした関連会社に属する総ての従業員が応募できる大規模な催しでした。

もし自分のアイデアが採用された場合には賞金を進呈!という、心が躍る楽しい大会だったと記憶しています。
(いちばん最後に紹介記事のURLを記してあります。)

当時、入社したての平社員であった自分も参画に燃えていろんなことを想い描いたりしていましたが、
実際に一般社員のアイデアが採用された例としては、業界初のスモークドガラスサンルーフであったり、
前輪と同じように後輪も左右に舵を切る四輪操舵(4WS)機構などが挙げられます。

いずれにしても、ホンダといえば「世界初採用!」と言わしめる先進技術をイメージする人が多いと思いますが、
同グループの研究開発部門の社名である「本田技術研究所」という名称や、
四輪メーカーとして名乗りを上げた直後のF1レースへの参戦も相まって、
確固たるコーポレートアイデンティティを世に示すことができたのです。

このような企業のあり方は、そこに在籍して働く従業員たちの士気を高めるだけでなく、
所属していること自体が既に喜びであり、同時に誇りでもありました。
これは、後に大きな飛躍へと繋がるための重要なファクターであったといえるでしょう。

このように、一部の幹部による判断だけで舵取りをするのではなく、一般の社員または職員からも広く意見を募り、
そこに所属する総ての従業員が「自分は、この集団にとって重要なメンバーであり、とても大切にされている。」
といった自己有用感を得ることは帰属的参画意識を大いに高める作用があります。

企業内のコミュニケーションを活性化し、個々のアイデアを全体に活かすための方法としては「KJ法」を筆頭に、
「ワールドカフェ」や「OST(オープンスペーステクノロジー)」、
または投薬せずに統合失調症が改善されるという「オープンダイアローグ」で用いられる「リフレクティング」
も注目されており、応用心理学として開発された数々のメソッドが個々の可能性を引き出すために積極的に
用いられるようになってきています。

カウンセリングやワークに纏わる各種の技法は、もともと集団適応に困難さを感じている一部のクライエント
(適応障害・対人恐怖症)のために開発された療法が多くを占めていますが、
いまや悩めるクライエントのためだけではなく、一般に向けて互いが深く理解し合い信頼関係を構築するための
メソッドとしても応用され始めているのです。

前回のコラムでも「セルフキャリアドッグ」について紹介させて戴きましたが、キャリアコンサルタントが身
につけている数々のスキルは「チームビルディング」の構築に役立ちますし、「ワークモチベーション」を
高める効果も期待できると考えられます。

今後は、外部EAPや専任のキャリアコンサルタントをどのように活かすか、
またはこれまでになかったような活用の仕方を模索・検討することで、
新たな価値を見出すことができるかもしれません。

体制づくりにとって最も重要なことは、既成概念に縛られないことそしてこれまでのやり方を一時的にでも脇に置き、
自らが属する集団を鳥瞰しながら立ち位置を再確認できるかどうかに掛かっています。

PDCAを提唱したエドワーズ・デミング博士は、後にPDSAと改めていますが、
ここで使われる「S」とはStudy(研究)の意味であり、Checkを単なる「評価」に終わらせることなく、
「評価」よりさらに進んで深く「研究」することが必要だと語っています。
Studyには謙虚さと向上心が不可欠です。Studyによる学びがあって初めて成長があるというのです。

どのような困難にも打ち勝つ強さと、社会の変動にも臨機応変に対応できるしなやかさの基となるのは主体的な
参画意識を有する者たちによるチーム体制の確立であり、危機的な状況なればこそ
「人材育成」から「人財の再発掘」へと認識を改める必要があるのではないでしょうか。

HRM(Human Resource Management)の重要性については、いまさら語るまでもありませんが、
HRD(Human Resource Development)についても情勢による変化があってよいのかもしれません。
___________________
以下、参考になるサイトです。

※1「オールホンダ・アイデアコンテスト開催」⇒ 検索 
https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1970ideacontests/
※2「HRMとは? HRMとPM、人的資源管理と人材マネジメント」⇒ 検索
https://www.kaonavi.jp/dictionary/hrm/

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.93(2020年10月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"金井津美さん"テクノファ養成講座33期生です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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新しい時代のキャリアコンサルタントが持つべき視点 その一考察
~成人の発達と守破離~

はじめまして。キャリアコンサルタントの金井津美と申します。
企業研修講師歴18年、専門はアドラー心理学、
シニア・アドラー・カウンセラー資格も有しております。

今夏からテクノファにて「厚生労働大臣指定 国家資格キャリアコンサルタント更新講習」
に登壇しております。
おかげさまで多くの方々にご参加、お申込みいただき光栄に存じております。

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今春、新型コロナウィルスの影響で世界は激震しました。
日本もまたその渦中で暗中模索を続けていますが、最近はだんだんと
この「新しい生活様式」に慣れつつある、そんな空気も感じられます。

この激震は働く人々にどのような影響をもたらしたのでしょうか?
テレワーク導入が一気に加速し、人々の働き方や考え方、
組織の在り方もこの短時間に様変わりしていきました。

まるで強制的に「リセットボタンが押された」そんな状態です。
先日、大手新聞社主催のシンポジウムに参加したところ、興味深いプレゼンを聞きました。

ある証券会社のトップのお話の一部分です。

★テレワークを通した気づき
1. 集まらなくても離れた場所で働ける
2. 問われるのは労働時間ではなく生産性
3. 年功序列優位の再考
4. 自律的業務遂行能力が問われる
5. 業務の可視化が必要
6. 評価の在り方が変わる
7. コミュニケーションがより大事に

上の1.‐7.を逆読みした状態が、コロナ禍前の状態です。

会社に行って決まった労働時間内(いやそれ以上)働き、
年功序列型組織で上司の指示命令の元に動き、可視化は同じ空間で即なされ、
画一的な評価に異を唱えず、皆がそこにいたので意識せずとも
コミュニケーション(飲み二ケーションも)がはかれた。

どうでしょうか?まさにリセットボタンが押されて、
ついこの前まで「当たり前」だったものが、当たり前でなくなってきた。

パラダイムシフト(社会の規範や価値観が変化すること)が起きたのです。

さて、このような社会の大変革の中で、働く人々を支援するキャリアコンサルタントとして、
自分は何を腹に据えていくのか?

答えは一つではなく、また一様でもなく、変化に合わせて柔軟に幅広く引き出しに
持っておくことが大事なんだろうと考えています。

あれこれ考える中でヒントとなったのはロバート・キーガン博士の成人発達理論です。

博士の説によると、成人は5つの発達段階があるということです。一部をご紹介すると・・・。

1. 具体的思考段階 (通常の成人はこの段階は超えている)
抽象的概念が扱えない(幼い)レベル

2. 利己的段階
自己中心的で自分の関心事や欲求に焦点、他者に共感しにくい
他者を道具のようにみなす

3. 他者依存段階
組織や集団の決まり事や慣習に従属し、依存的な意思決定をする
自分独自の価値体系が未構築

4. 自己主導段階
自分独自の価値観や意思決定を通じて主体性を発揮できる
自分の意見や理想・信念を明確に表現できる
自己成長に強い意欲、向上心がある

5. 相互発達段階
自分の価値観にとらわれすぎずに、多様な価値観や異なる意見もくみ取りながら
柔軟に意思決定できる
価値観や意見の相違も受容し、他者と幅広くコミュニケーションがはかれる
自己成長よりも(そのレベルを超え)、他者の成長に貢献したい欲求が強い

参考文献
『なぜ部下とうまくいかないのか』加藤洋平 日本能率協会
『リーダーシップに出会う瞬間』有冬典子 日本能率協会

高度成長期以降、日本の多くの成人たちは長らく上の理論の
3.他者依存段階にとどまっていた人が多かったのではないか?

そして今も、その段階にある人々が急な社会の大変化を目の前にして右往左往していないだろうか?
失礼ながら、私としてはそう感じています。

実際キーガン博士の理論でも成人の人口比率70%はこの段階であるそうです。

ではこれからどうするのか?それは明白で、
この多くの人々をまずは次の段階の 4.自己主導段階へ目を向けてもらうこと、
それがキャリアコンサルタントに課された使命だと思っています。

コロナ禍は災害でもありますが、同時に変革のチャンスでもあります。

組織や集団に身も心も捧げて生きるのではなく、ひとつの個として主体性をもって生きる、
まずは自分の成長を目指していく。

そのためにどう働き、何を学び、誰とコミュニケーションをとっていくのか?
自分自身の成長戦略を練っていく支援をしていくことがより一層求められるでしょう。

もちろん、そのプロセスを経た上での最終段階、5.相互発達段階を視野に入れておくことも重要です。

伝統芸能の世界には「守破離」という言葉がありますね。
私はこの成人発達理論に出会ったときに、この言葉が思い浮かびました。

3.他者依存段階が「守」だとしたら、次の
4.自己主導段階は「破」、
5.相互発達段階は「離」と言えるのではないでしょうか?

ひとっ飛びに最終段階まで行くことは難しい。

だからまずはこれまでの自分の在り方を正々堂々と「破って」みる。
変化には恐怖と勇気が拮抗し苦しいこともありますが、
今までに見たことのない景色を見るチャンスでもあります。

人々の成長を支援するキャリアコンサルタントとして、
クライエントに寄り添いつつ、共に新しい景色を見てみたい!

なんだかワクワクしてきたので、この辺でペン(キ―ボード)を置きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.92(2020年9月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

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そもそも「仕事」とはなんだろう?

「私にとって仕事は趣味のひとつです。」、または「仕事こそが私の生き甲斐です。」
・・それが正直な気持ちとして言えるとしたら、とても素敵なことである。
ため息まじりに「生きていくためには働かなくてはなりませんから・・」
と呟く言葉と対極にある感覚だろう。

さて、そもそも「仕事」とはなんだろう?
多くの者は、そのまま「収入」、または「作業」を意味する言葉として
用いているのではないだろうか。

たとえば、夫婦間で衝突が起こるきっかけとなる原因として以下のようなやり取りがある。

夫:「子どもがどうしたって? 家のことはお前に任せてあるだろう。俺は働いているんだぞ。」
妻:「私だって働いているわ! あなたは家事や子育てがどんなに大変か解ってないのね。」

きっと夫は、こう言いたいのである「俺は家計を支えるために外で稼いできてるんだぞ。」
この場合、働くとは「収入を得ること」であろう。
対する妻にとっての働くとは「作業」を指している。

もし、妻が夫と子どもを見送った後に15時までのパート勤務に出ているとしたら、
夫の台詞に対する不満はより大きいものとなることだろう。

いずれにしても、これら双方共に一家にとって必要かつ重要な「仕事」であることに違いはなく、
言わば「役割の分担」である。どちらが欠けても家庭は成立しないわけだが、
分担しているという意識が欠落していれば、つい自分本位の言い方になってしまう。

話のついでに、もうひとつ紹介しよう。
「俺も手伝うよ。」・・何気なく発した言葉が妻の怒りに火をつける。
妻は「はあ? 手伝う? なにそれ?」から猛反撃が始まることになる。
夫は、なんら悪気などなく、それどころか良かれと思っての発言だっただけに、
なぜ妻がこんなに怒るのかさえ全く解らない。

「手伝う」という言葉を発した夫の背景には「その作業は、もちろん妻が主にやるべきこと。」
または「本来は俺の仕事ではないが・・」といった思い込みがあることになる。
掃除や洗濯などの作業ならいざ知らず、仮にそれが子育てにまで及んでいるとしたら
妻が怒り出すのは当たり前である。

私の知り合いに主婦ならぬ「主夫」をやっている方がいる。
子どもを授かるまでは共働きだったものの、妻が某保険会社に勤務していて
夫の収入よりも額が多かったこともあり、出産後に二人で話し合って互いの役割を決めたという。

なにより、夫は料理が得意なうえに掃除や洗濯にも全く抵抗がない。
編み物などの手芸にも長けている。
さらに、とても子煩悩で子どもと朝から晩まで一緒に過ごしてもストレスが溜まるどころか、
関わることが楽しくて仕方がないという。

となれば、男性が外で働き、女性が家を守るといった一般的な図式に従う必要もなく、
授業参観日も親子共々楽しみにしているとのことだった。

どうも我々は「普通」という言葉を「多くの場合」と混同して遣ってしまいがちだが、
世の中にはいくらでも例外があるし、あってもよいのである。

このところ世間では「コロナ離婚」という妙な現象が蔓延っているようだが、
その大きな要因となっているのは他でもない。

このような両者の誤認識に因ると言っていいだろう。
感染を避けるために外出を控えるために家の中で仕事をするようになった夫は妻の仕事ぶりが気になり、
事情を知らないまま、つい相手への尊重抜きで役割的領域を侵してしまうのである。
たとえ無自覚であっても夫婦間に主従関係を持ち込んでしまった結果なのだ。

さて、話を戻そう。
「仕事」を辞書で引くと以下のような説明があった。
「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。生計を立てる手段として従事する事柄。
「働く」とは「仕事をする。労働する。
特に職業として、あるいは生計を維持するために一定の職に就く」など解釈も様々である。

人によっては「お金を得るための手段」と即答する者もいるだろうし、
一人称的な意味においては「社会貢献の場」または「自己実現の場」「自分を成長させる場」
「やり甲斐や生き甲斐」、「自分の可能性を試す場」、さらには「人と人とがつながる出会いの場」
といった具合に違いがある。

冒頭にも述べたように「仕事は趣味だ」と言い切る者ならば「やりたいこと=仕事」の状態に
なっていることになるのだろうが、それをひとつの理想形とするならば、
少なくとも納得の上で自己選択として成立していなくてはならないだろう。

著名な心理学者であるC・G・ユングは、人としての成長において
真の自分になっていくプロセスを「個性化」と呼んだ。

個々の人間が未分化な無意識を発達させる過程であり、人格の本来の要素や精神的に未熟な要素、
あるいは人生における経験が、時間の経過を通して実存的に統合されていくことを理想としている。

よく知られているアブラハム・マズローが提唱した欲求五段階説に登場する
「自己実現」に近い概念として捉えても構わないだろう。

真の自分とは、自らの成育歴で得られなかった欠乏欲求を満たすことや長男などの出生の位置、
または周囲の目を意識した選択ではない本質的な自分に立脚した希望に沿ったものを言う。

もちろん無意識の領域に在る想いが意識化できてこそなのだが、自分ひとりだけでの遂行は困難であり、
これこそがキャリアコンサルタントが必要とされる理由のひとつである。

本来、職種は単なる自己実現の手段に過ぎないわけだが、多くの者がこの「手段」を目的(目標)と
思い込んでいるために就職をゴールだと勘違いする。このことが定着率の低さとなって現れているのである。

自己実現のために自分はこの仕事(職種)を選択したのだ!と明確化されていれば、
就職がスタートラインに立ったことだと認識できるであろうし、
当然ながら3年以内に辞めてしまうことなどあり得ない。

文科省も、その辺りのことがいまひとつ理解できていないのか、
未だに進路と言えば就職活動を指すものだという思い込みから脱却できずにいるようである。
(そもそも進路指導などという言葉自体がおかしい。)

できれば就職先を決定する前に大雑把であっても「自己実現」についての方向性が
明確になっていればいいのだが、なんとなく流れうや勢いで職種を選んで現在に至っているとすれば、
今からでも取り組むことが肝要である。

このことは雇用する側としても大切にして戴きたい部分なのだが、
従業員を「人材」と見るか「人財」と捉えるかの姿勢の違いによって
個々のワークモチベーションが左右されるだけに、きわめて重要な問題として認識しておく必要があるだろう。

「セルフ・キャリアドッグ」導入の薦め
以下、厚生労働省HPより~

1. セルフ・キャリアドックの定義
セルフ・キャリアドックとは、キャリアコンサルティングとキャリア研修(第3章参照)などを
組み合わせて行なう従業員のキャリア 形成を促進・支援することを目的とした総合的な取組みのことです。

2. セルフ・キャリアドックの必要性
IT化の進展や国際競争の激化などにより、企業はビジネスモデルや事業内容の大胆な変化を迫られています。
そのため、従業員一人一人が社会や組織の変化を先取りする形で変革に対応し、
持てる力を最大限に発揮していくために、自ら主体的にキャリアを考え構築していく必要があります。

3. 導入で期待される効果
セルフ・キャリアドックの導入により、次 の(1)(2)の効果が期待されます。
(1)各従業員が、キャリアの目標を明確化し、仕事の目的意識を高め、計画的な能力開発に取り組むことにより、
仕事を通じた継続的な 成長を促し、働くことの満足度の向上につながります。
(2)企業の立場としても、人材の定着や従 業員の意識向上が、組織の活性化につながり、
生産性の向上への寄与等の効果が期待 されます。

セルフ・キャリアドッグの導入は、今や企業の中で一般的になりつつある。
個人と企業体が共に成長できる関係式の構築は、そこに所属する従業員たちにとってまさに
「会社の問題 = 自分の問題」として臨む気持ちをより強固なものにしてくれるはずである。

それこそが今回のパンデミックのような危機に対する最大の防御となり得るのではないだろうか。

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.91(2020年8月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"佐々木香織さん"テクノファ養成講座33期生です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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テクノファのメルマガ読者の皆さま、はじめまして!大腸がんサバイバーの
「カロリーナ」こと、佐々木香織と申します。

なぜいきなりがんの話…と思われた方も多いと思いますが、
こう見えて私、れっきとした?!
テクノファのキャリアコンサルタント養成講座の卒業生でして。

がんが発覚したのは、国家資格二次試験の合格発表の直後、2018年の7月のことだったのです。

晴れてキャリコンとしての一歩を踏み出そうとした矢先に、がん…。
それまで病気知らずで入院は出産の時のみ、体力自慢の私ががんだなんて…
まさに青天の霹靂だったわけですが、今となっては
「がんである自分」
はかけがえのない唯一無二のキャラクターとなり、むしろ、がんに感謝しているほどです。

そして、キャリコンの学びがあったからこそ、私はがんに対していつも前向きに立ち向かえた。
そのことにも、大いに感謝しているのです。

ひとは突然がんになった時、それこそ、いろいろなことが頭を巡ります。
なんで私ががんになったんだろう?
何か悪いことしただろうか?
ワインの飲みすぎ?(笑)
過去の自分を思いっきり振り返り、まずはドカンと落ち込みます。

そしてこれから私、どうなるのだろうか?
仕事は、家族は、命は、どうなっていくのだろうか…。
過去の振り返りの後は、自分の将来に思いを巡らせます。

そしてそれはたいがい、あまり明るくない将来です。

そして治療中、患者として何度も迫られる選択。
例えば、「この抗がん剤治療をすることで再発リスクが4%下がります、やりますか?」
などと患者側にボールが投げられる。

しんどい副作用と、たった4%の効果を天秤にかけて、私は決断しなければならない…
なんてことが起きるんです。

体もしんどいけれど、それと同じか、それ以上にしんどくなるがん患者のこころ…。

そんな時、私はいつも思い出していました。養成講座での学びの数々を。

「カウンセリングの現場では、今ここを大切に」…そうか、
過去を悔んだり、将来を悲観している場合ではない!

今わたしは何をすべき、今のわたしはどうしたい?

「これはわたしの転機なのだ…この状態に永遠はないのだ」…
トランジション理論のブリッジス先生も言ってるではないか、終わりは始まり。
この治療が終わったら、そして少し間が空いたら、また何かが始まるはずだ!

先のことを考えると、どうしてもマイナス思考が襲ってくる、がんとの対峙。
いつ再発、転移が起こるかわからない…
それががんという病気であり、いわば、予測不能でもある。
だったら、先のこと考えてもしょうがないじゃない?
わたしの目の前にある今ここを、誠実に生きるのみ!

こんな思考で、最初の直腸切除手術(腹腔鏡下手術)も、
一時的ストーマ(人工肛門)閉鎖術も、肺転移後の切除手術も、
その後半年に渡った術後補助化学療法(抗がん剤治療)も、
なんとか乗り切ってきました。

今はおかげさまで、薬ひとつ飲まず、
3か月毎の経過観察(CTや超音波検査で転移がないか調べる)のみで、元気にしております。

肝心のキャリコンとしての活動ですが、細々と、でも少しずつ前進しています。

昨年10月には、両立支援コーディネーターの養成講座に通い無事に終了証をいただきました。
そこでは、がんだけではない様々な疾患、メンタルヘルスを含む疾患を抱えて働く人々が
いかに多いかを知りました。

また、がんとわかっただけで即仕事を辞めてしまう「びっくり離職」が多く、
それはいろんな意味で問題であることもわかりました。
この分野で、自分はがんサバイバーキャリコンとして、もっと出来ることがあるのでは…
と気づかされました。

また、がんYouTuberとして、動画でメッセージを発信することも始めました。
もともとはブログからスタートしたのですが、世の流行りに乗っかりながら(笑)
元来のおしゃべり気質も手伝って、YouTube配信へと発展しました。

そこで語っているタイトルは、

◆「これが私の自覚症状 大腸がん早期発見のために知っておきたい自覚症状まとめました
カロリーナの体験談付き 必見です!」https://youtu.be/ZCbIOMn8wVI

◆「人生会議の日に 一人のがん患者が死ぬこと、生きることの意味を語る動画 
生き切ったね!と自分も周りも納得出来る人生を」https://youtu.be/SAd4GQjzykA


…等という具合なのですが、トークの随所に、キャリコン的視点をさりげなく散りばめるようにしています。

一例を挙げると、がんと向き合うには「自己理解」が大事ですよ、とか、
自覚症状に対して自分だけは違う・大丈夫と思う「正常性バイアス」がかかっていた…等ですね。
キャリコンの知識を小出しにして、これからもがん動画の中で語りたいと思っています。

(googleで、「カロリーナ がん」で検索すると出て参ります。ぜひ見てやってくださいませ)
https://www.youtube.com/channel/UCNJhZV5p-J_I_v94nic6X-g/


最後に、本業のほうで取り組んだ仕事を一つご紹介させていただきます。

テクノファの講座で出会った「アサーション」をもっと世に広めたい!
という思いが昇華し、今年ついに「どなたでも無料で視聴いただける動画」として形にしました。
平木典子先生の本を元に私がシナリオを書き、日精研様の監修をいただき、

講師として文川実先生にご登場いただきました。
アサーションのいろはの「い」を学べる動画として、大変ご好評いただいております。

よろしければぜひご覧ください。
◆「アサーション」で築く素敵な人間関係
~わたしもOK あなたもOK のコミュニケーション~
https://www.kk2.ne.jp/kk2/biz03/assertion.html/
 (ご視聴にはKK2Web会員への登録が必要です:無料)

今後とも、がん関連で何かございましたら、お気軽にお声がけ頂けましたら嬉しいです。
長文に最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.90(2020年7月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"作田鈴木秀一さん"

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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悲観と楽観が生み出す物語

「オプティミストはなぜ成功するか」(講談社文庫)
この本は、世界中でベストセラーになり、今やポジティブ心理学の第一人者となった
マーティン・セリグマン教授の名を一般に知らしめた「Learned Optimism」の翻訳書である。
だいぶ前に手にした本なのだが、新型コロナの影響で経済的にも精神的にも痛手を
被っている者が多い今だからこそ、できるだけ多くの人たちに読んでほしいと思い、
ここで紹介させて戴くことにした。

以下、文中より~
『ペシミスト(悲観主義者)の特徴は、悪いことは長く続き、自分は何をやってもうまく
いかないだろうし、それは自分が悪いからだと思い込むことだ。
オプティミスト(楽観主義者)は同じような不運に見舞われても、正反対の見方をする。
敗北は一時的なもので、その原因もこの場合だけだと考える。
そして挫折は自分のせいではなく、そのときの状況とか、不運とか、ほかの人々によるものだと信じる。
オプティミストは敗北してもめげない。これは試練だと考えて、もっと努力するのだ。
挫折の原因を考えるとき、どちらの見方をするかによって結果が変わる。
また、数百例の研究結果から、ペシミストのほうがあきらめが早く、
うつ状態に陥りやすいことが証明されている。』・・・引用おわり

また、心理学者アルバート・エリスも以下のように語っている。
『人は何らかの出来事や他者が放った言葉によって傷ついたり、落ち込んだりするわけではない。
その体験や言葉を自分がどのように受け止め、どう解釈するかの如何によって左右されるというのだ。
同じような目に遭っても何ら平気な者がいる一方で、精神的にまいってしまい、
二度と立ち上がれなくなってしまう者もいる。多くの非難に晒されても平然としている人もいれば、
たった一人に落ち度を指摘されただけで自殺してしまう人もいる。すべては非合理な思い込み
(イラショナル・ビリーフ)に因るものだ。』

 現象について語る上で因果律は重要である。原因があって結果がある。
これは、かつてフランスの哲学者ルネ・デカルトが提唱した要素還元主義を基にした解釈であり、
それ以降の科学技術の発展に大きな影響を与えた。
しかし、人間は機械のような部分品の集合体とは言い切れないし、特に「心」は因果論で測ることなどできない。

元気をなくした理由、または嫌気がさした原因といった捉え方は誤りである。
そのことが「きっかけ」になっていることに間違いはないにせよ、同じように悲惨な体験をしたとしても
個々の性格や傾向によって受け取り方が異なるだけでなく、反応もまた人それぞれである。
このことはレジリエンスにもまた大きく関係しており、「病は気から」と言われるように、
うつ病を発症してしまうか否かもまた心の持ち方に因ると言っていいだろう。

新型コロナの影響で国や自治体から自粛を求められ、経営危機に陥り絶望に瀕してしてしまう経営者と、
逆に「ピンチはチャンスだ」とばかりに奮起する経営者・・これらの違いも個人的な体験過程の差と言えるだろう。

絶望とは文字通り「希望が絶たれた状態に陥ること」である。
ただ、すぐに希望を失い失意の底に沈んでしまわないために必要なことは「いま置かれている状況を
自分がどのように捉えているのかを自覚すること」であり、認識を変えることで回避できる可能性が
生まれるのである。

「オプティミスト」を自認する者たちは状況を冷静に分析し、いまの自分に何ができるかをじっくりと
吟味し、意思決定に従って行動を起こせる。
一方の「ペシミスト」といえば思考停止状態に陥り、これまで順調に事が運んできた過去の体験に
しがみついて、なかなか手放そうとしない。
その結果、他のやり方や未経験の手法には全く目を向けることなく沈没してゆくのである。

前回のコラムでも「死と再生のプロセス」について紹介させて戴いたが、新たな改善策と一体と
なった再構築は、例えば捻挫を経験したことによって以前よりも強い足首を得るが如く、
いっそう強固な経営システムを生み出すことになる。

と、ここまで読んでくれた読者は「自分もオプティミストであろう」とするかもしれないし、
または逆に「ものごとの捉え方や観方を変えるだけで乗り切れるほど甘くはない!」
「苦しんでいる我々の何が解るというのだ!」「精神論が何の役に立つ!」と反論したくなるかもしれない。

もし、後者だとすれば、それこそが呪縛の中に在ることであり、
「人の思考特性や認知は容易く変えられるものではない」という思い込みに縛られていることになる。
新たな試みを実行に移すことは、それ自体が自らの「心のクセ」にコミットメントすることなのだ。

もちろん、なんでもかんでも楽観的でいいとは思えないし、むしろ予めリスクについて
検討しておく意味ではペシミストのほうが多くの困難を予測できるのかもしれない。

ここで誤解してほしくないのは、けっしてリスクマネージメントを否定しているわけではないし、
逃避的にファンタジーに浸ることを推奨しているわけでもない。自分の「心のクセ」を自覚し、
自覚しているからこそ意志的に行動を選ぶという流れを生み出せれば、誰しもがオプティミストに
なれることをお伝えしたいのだ。

ちなみにキャリアカウンセリングにおいて重要視するのは「自分の特性や傾向を知ること(自己理解)」である。

というのは、自分を知らずして自己決定などできるはずがないし、自己決定なしで自己責任など
あり得ないということがひとつ。
そして、自分特有の思考特性や行動特性を知らずして客観的な位置に立てるはずがないということである。

言うまでもなく客観的な位置に立てなければ自分を取り巻く状況を俯瞰(鳥瞰)することは叶わない。
状況が見えず、五里霧中の状態で自らの進路を決定したり、目の前の問題について意思的に決断を下すなど
全く以て無謀なことである。だが一番の問題は、そのような無謀な決定に踏み切ろうとしている自分に
自覚がないことなのである。

日本にカウンセリングが導入されたのは1951年と聞いている。
ということは既に70年近い歳月が流れていることになるわけだが、残念なことに未だに誤解が多く、
おそらく「悩みや困りごとの相談」や「治療行為」など、ほんの一部の側面だけしかご存知ない方がほとんどだろう。

こういった現状の背景には、カウンセラーたちが自分の職務内容を周囲に理解してもらうための活動に
熱心でないことや、変に権威性を誇示している心理系の団体等が広報活動においても特定の業界だけに
的を絞り、広く一般向けの身近なテーマをメインに掲げないことなどが考えられる。

いずれにしても真の意味でのカウンセリングが理解されず、未だカウンセリング・マインドが
浸透しないまま日常に活かされていないのは残念なことである。

そのようなわけで、せめてこのメールマガジンを読んで下さっている方々だけでも、
この機会にカウンセリングに対するご理解を戴くと共に、事業所内においてもさらに効果的な活用を
検討して戴ければ幸である。

 ◎ 誰もがオプティミストになれる「リフレーミング」の手法

今回は、先に書いた「心のクセ」によって、どうしても悲観的な捉え方をしてしまう人に対して
有効な「リフレーミング」について説明したい。
リフレーミングは、リ・フレーム、つまり「ものごとの捉え方の枠」を意識的に変えることだが、
以下の中国に伝わる古い物語「塞翁が馬」に準えることができる。
 
『昔、ある国境付近に住んでいた老人の飼っていた馬が逃げてしまいました。しかし数ヵ月後、
その馬が1頭の名馬を連れて戻ってきました。喜んだ老人の息子でしたが、
その名馬に乗っていたときに落馬して足を骨折してしまいました。

その後まもなく戦争が起こり、たくさんの若い兵士たちが戦死してしまいました。
しかし足が悪かった息子はそれを理由に兵役を逃れることができたのです。』

つまり、災難だと思っていたことが、後になってから振り返ってみれば意外にも逆にラッキーな
出来事であったり、マイナスだと思いこんでいたことが、視点を変えてみたらプラスに捉えることが
できたといった転換的な構図を意味する。

日本にも「災い転じて福となす」という格言があるが、概ね似たようなニュアンスとして捉えて
戴いて問題ないだろう。

上記の2つの例が示すように「かえって良かったのかも・・」といった具合に起こった出来事や
状況をプラスに捉え直すことを「状況のリフレーミング」と言う。

ついでに、もうひとつ「言葉のリフレーミング」も紹介しておくことにしよう。
こちらは以下のような例を挙げることができる。
○「この子、落ち着きがないんですよ。」⇒「活発なお子さんですね。」
○「私、消極的で行動が遅いんです。」⇒「冷静なんですね。滅多に間違いを起こさないでしょうね。」
○「気遣いができないんです。」⇒「自分に嘘がつけないのでしょう。裏表がなくて信頼できますね。」
○「鈍感で何も感じないのです。」⇒「大らかでいいですねえ。細かなことなど気にならないのでしょう。」

リフレーミングはマイナス的な評価をプラスに転換してしまう魔法の言葉である。
このような受け取り方をしてもらえたら誰しもが明るい気持ちになるだろうし、
自分のウイークポイントについて開示して良かったと感じてくれるかもしれない。

さらに、プラス方向にリフレーミングされた応答が幾度も繰り返されるにしたがって
聴いてもらえた側もまたリフレーミングができるようになっていく。

この好循環は爽やかで健全な集団を形成していくことにも寄与するであろうし、
企業内における人間関係も改善すると言われている。

オプティミスであることは精神衛生的な意味でもひじょうに有益であるし、
オプティミストが大勢を占める集団(企業やコミュニティ)は、
逆境にも挫けない強さと苦難さえも肥やしに換えてしまう柔軟さを兼ね備えていると言えるだろう。

あなたも、これを機会に自分の在りようを振り返り、オプティミストを目指してみては如何だろうか。

  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.89(2020年6月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"作田稔さん"

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人生100年時代のセカンドライフの支援の視点-その前線(2)

Covic-19のパンデミックは、21世紀を生きる私達に、新しい社会との関わり方や生き方、
働き方にも根源的な問い直しを求めています。シニアのキャリア支援の領域でも、
withコロナ、afterコロナの時代に求められる新たな視点が必要に思われます。

<シニアに向き合う視点>
シニアのセカンドライフに向き合う上で、普遍的で重要なことの一つは、それは何よりも長い人生の時間を
今日まで生き続けてきたことの事実とそのことへの敬意の姿勢です。
これまでの人生が、思い通りであったのか、多くの困難に遭遇したのかの有無に関わらず、あるいは自からの
納得感の有無にもよらず、さらには職の有無にもよらず、どのような役割を担ってきたか否かに関わらず、
今日まで生き続けているという厳然とした現実をまずは深く受け止めたい。

社会的、経済的に、あるいは精神的、肉体的にどのような状況にあっても、これまでの体験世界でどのような
得意領域を持ち、どのような社会的役割を果たし、どのような家族関係、他者との関わり方をしてきたのかに
関わらず、一人の存在者としての掛け替えのない一人の人生と対峙していることへの視座が欠かせない。

そのための、シニアのセカンドライフの支援の視点を列記したい。
1.現在まで生きつづけていることへの肯定的な理解
2.自分らしさを支える価値と自分の拠り所への理解
3.人生の長さとライフステージの変化への気づきとその理解
4.日々の暮らしを生きる上で、働くこと、役立つことへの理解とその問い直し
5.日々を生きる、コミュニティの理解とその問い直し
6.自分らしく生きる上での、リソース、同伴者、他者への理解と関わり方
7.シニアとしての意味と人生の統合とそのシナリオ

特に留意したいことは、先進的と言われている組織でも、
まだ十分に取組まれていないシニアへのアプローチがあります。
それは単なるライフプランでもリタイア準備のプログラムでもありません。

<不確実性を生きる視点>
これからの時代を生きるシニアを支援するに当り、特に強調しておきたいことの一つは、
シニアにとって「働くとはどのようなことなのか」を、その根源に遡って問い直すことです。

Covic-19のコロナ禍の中で、当り前と思えた働くこと、仕事をすることの困難さが、
私たちをかくも簡単に包み込みました。

「働くことは、人生の中核を為し、社会的つながりや経済的な関係を築く上でも重要なだけではなく、
働くことが、より長く生きる人々の人生の中で欠かすことの出ないこと」
と語ったBlustein(2013,2019)の提言を忘れることができません。

言うまでもなく、働くことを失うと、個人のみならずコミュニティもまた困難に向き合います。
どんなに優れた知識、技能、経験、キャリアを持ち合わせていても、社会の困難さを乗り越えるためには
個人のキャリア自覚を超えた社会・経済・政策を動員したワーキング心理学の取組が求められています。

一見当然のように思える、生きること、日々の暮らしの中心的な役割としてのシニアの働くことへの
深い理解が、シニア支援の要の一つと言えます。


<新たなコミュニティを生きる視点>
シニアの支援で、もう一つ強調しておきたいことの一つは、コミュニティとの関わりです。
多くのシニアのセカンドライフを支援する中で、自分らしい社会参加を果たし自からの役割と居場所を
形成する人々には特徴的な思考行動の特質が認められます。

例えば、自分の価値観や特性を弁えていること、他者の考え方を認め尊重すること、
新しいことにチャレンジし続けること、主体的に関わること、相互に他者を支援し、
出入り自由にセルフコントロールできることなどの特徴です。

更に、シニアのコミュニティ活動では、シニアのゆるやかなつながりが、
効果的な活動の推進には有効に働いています。
筆者等の行った延べ3回の450余名のフィールド調査(2013,2015,2019)では、コミュニティのあり方が、
地域課題のお助け隊、環境保全の植栽NPO、学習支援、自立支援などなど多様な活動の展開を可能にしていました。

コミュニティ活動では、更に、シニアとは異なる子育て世代の活動や、
事業創造を進める若手スタートアップ世代の活動の筆者等のフィールド調査(2019)に於いて、
その活動を支える大切な要素の一つとして、コミュニティの多様性とゆるやかな関係が協働する
活動の可能性と新しい社会的な価値創造の実効性を高めていることが認められています。

奇しくも、Covic-19のニューノーマルな日常の中では、ゆるやかな関係を保つソーシャルディスタンスと
自律的な行動変容が求められています。
withコロナ、afterコロナの新しい社会のあり方は、シニアの新たなコミュニティへの関わり方と
一脈通じることがあるのは、興味深いことと言えます。

変化する不確実な時代を生きるシニアのセカンドライフの支援の前線では、超高齢化の現実と向き合いながら、
肉体的、精神的、社会的充実を目指す、人生100年時代を果敢に生きるための実践が続いています。

組織からリタイア後のシニアのセカンドライフは、所属する組織とほぼ同等のライフタイムを有しています。
シニアのセカンドライフ支援の前線では、将に、一人一人の個別の課題が追求され、時代の先端の課題に
向き合う重要な実践の場が展開されていると言えます。

併せて、人生100年時代のセカンドライフの支援の前線では、これまでのキャリア論や人材開発論、
カウンセリング論の安易なモデル化や適用を慎重かつ丁寧に取り扱うことの重要性も心に留めておくことの
一つと思われます。 

  ◆終わり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.88(2020年5月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

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新型コロナウイルスに学ぶ「死と再生のプロセス」

新型コロナの感染拡大は留まることを知らず、未だに終息の目途が立たない。
医療崩壊も時間の問題だと聞けば、誰しもが不安に駆られ落ち着いてなどいられないだろう。

多くの者が閉塞感に耐えられず、ネット上では積もり積もった鬱憤を晴らすかのように
外出する者を責め立てたり、国や自治体における対応の遅れを非難する様子が観られる。

かく言う私も冷静でいることに努めたいと思いながらも、ニュース番組を見ては憤慨し、
落胆することを性懲りもなく繰り返す毎日だ。
もちろん、批判と非難は似て異なるものであり、より良い変化を生み出すための
「批判(代案がある)」は重要だが、不快な気持ちを紛らわすための
「非難(感情をぶつけるだけ)」からは何も得られない。
そんなことは分かっている。しかし、だからといって湧いてくる苛立ちを抑えるのも
精神衛生上よろしくない。

きっと世界中の人々が漏れなく似たような感覚に陥っていると思われるが、
改めて考えてみれば確かに「未曽有の・・」という形容詞が示すように、
我々は有史以来初めてといえる大きな災いの渦中にあり、
歴史に残るであろう劇的な体験をしている最中なのである。

100年前のスペイン風邪も世界的な脅威であった点で似ているが、
今や世界中の人々が互いの状況をリアルタイムで知ることができているところが全く異なっている。
ここが重要である。人間が全体的な観点を獲得するためには実感的な共有が必要と考えられるからだ。

心理学や社会福祉を専門としている私としては、自らの心を揺らす情動に翻弄されることなく、
可能なかぎり物事を俯瞰的に観ようと意識している。
そのような観点から世界的な危機をリフレーミングしてみると、この滅多にない機会こそが、
捉え方如何によって大きな変革につながる好機かもしれないと考えることができる。

実際に、私が関わっている教育界では既に興味深い提案が幾つか出始めている。
代表的なものとしては、「このまま学校の休校がダラダラと続くのであれば、
いっそ年度の始まりを4月から9月に変えてみてはどうか・・」といった改革プランである。

なるほど、諸国の例に倣って新学期を9月にしようという提案は以前から出ていたものの
様々な事情から実現できずに現在に至るわけだが、このような状況だからこそ
敢えて変更することもあり得るのではないかといった議論が始まったことには大いに注目したい。

もちろん、それは小中高だけでなく大学や専門学校も準ずることになるので、
当然ながら受け入れる側となる社会(産業界や各行政機関など)としても大きな変更を
余儀なくされるだろう。

また、驚いたことに、予てから言われていたオルタナティブな経済システムのひとつである
「ベーシックインカムの導入」にも触れられて、もしかしたら2020年は日本にとって、
いや世界にとって記念すべき改革の年になる可能性もある。

現実的には、経済界におけるダメージは計り知れず、体力のある大企業はともかく、
蓄えの少ない中小零細企業や個人事業主にとっては今まさに断崖絶壁に立たされているような
危機に直面しているわけだが、苦し紛れに編み出したアイデアを以て難局を乗り越える者が
出てきているのも確かだ。

個々の日常においても変化は起きている。ここ数か月に渡って話題と言えば
新型コロナの件に関することばかりであり、それぞれが現状について口にするほど更なる不安が
喚起されるといった悪循環を招いているわけだが、そんな今だからこそ、
これまでになかったほど政治に対する関心度が上がっている。

おそらく、庶民の間でこれほどまでに政治のあり方について語られ、
政府の動向に注目が集まったことはかつてなかったのではないだろうか。
皆が、政治を「自分の問題」として捉える目が生まれたといってもいいだろう。

さて、いま話題となっている治療薬アビガンは「富士フイルムメディカル株式会社」の手によって
開発された製品であるが、今や富士フィルムは化粧品メーカーとしても有名であるし、
健康食品メーカーでもあることをご存じだろうか。

富士フィルムは、これまでに培った写真やフィルムの技術を他のジャンルに活かすことで、
まさにピンチをチャンスに変えた企業の代名詞となっている。

デジカメやスマホカメラが登場し、誰もがパソコンを使ってプリントアウトできる時代の流れによって
富士フィルムは経営の改革に迫られたわけだが、意外なことに国内のカメラメーカーの中で
いち早く先陣を切ってデジカメの量産に踏み切ったのは他でもない
フジカ(富士フィルムのカメラ製造部門)であった。

それは、傍から観れば自らの首を絞める行為かと思われたが、けっしてそうではなかったのである。

家族心理学の領域で扱われる言葉に「死と再生のプロセス」という概念がある。
これは「破壊と創生のプロセス」と表現を変えて解釈することもできるが、
「古くなって台風の襲来に耐えられそうもない家」に例えることができる。

古くて傾いてしまっている家は、筋交いを咬ませて補強しても、壁を塗り換えても、
屋根を張り替えても、所詮は一時しのぎでしかなく、いずれ倒壊してしまうことは目に見えている。

(なんとか維持しながら持ちこたえようとする反応を「モルフォスターシス:恒常性」と言います。)

ならば、思い切って一旦さら地にした上で新たに建て直すほうがよい・・という意味である。

(生まれ変わる意味で「モルフォジェネシス:創生」と言います。これは意志的に行なわれます。)

しかし、家を建て替えている期間中は無防備になり、雨風を防ぐ術はない。
それを覚悟してこそ決断できるという前提においてである。

キャリアコンサルタントの立場から言わせてもらえば、このことは再就職や脱サラして起業することはもちろん、
企業内における異動や配置換え、または県外への転勤などにも当てはまることである。

昨日までの自分を捨て、生き方を改めようと意志を以て行動を起こしたり、
昨日までと同じ職場に居ながらであっても新たな気持ちで取り組むと決めることも同じ意味を持つ。

要は、「状況に翻弄され流される自分・させられる自分(受動的)」から、
「状況を活かして主体的に変容する自分・する自分(能動的)」の違いこそが被害者の立ち位置から脱却であり、
明日を生み出す可能性につながるというのである。

じつは、私は20年ほど前に経営破綻を経験している。
個人経営の小さな店舗ではあったが、5000万円近い借金を返すために家を手放す羽目となり、
絶望感から自殺を考えたことがあった。
しかし、そのような経験があったからこそ、心機一転とばかりに心理の世界に飛び込むことができたし、
さらなる向上を目指して50歳を過ぎてから大学院に進学することもできた。
その結果として専門家として働く現在の自分が在るのだ。

人は誰しも現状を手放すことに抵抗があるものだし執着を断ち切れないために、
初めてで不慣れなことには関わりたくない。
それゆえ、つい決断を先延ばしにしてしまいがちだが、その意味では「切羽詰まった状況」
に追い込まれる事態が自分の背中を押してくれる場合もあるのだ。

最後に、当時の私を支えた言葉を紹介しようと思う。
「絶望感に負けないためには、それを凌駕する希望を打ち立てることである。」

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.87(2020年4月号)…

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  人生100年時代のセカンドライフの支援-その前線

新型コロナウイルスは、今、私達の日常を直撃しています。
東日本大震災がそうであったように、直面するコロナウイルスは、私達が当たり前と思っていた
日々の活動も、実は様々な前提条件の中で成り立っているということを、改めて思い起こさせて
いると言えそうです。

永らく私は、企業のキャリア開発とキャリア・カウンセリングの領域に携わってきました。
1987年に「キャリア&チャレンジ(略称C&C)という2泊3日の若手中堅のための
キャリアプログラムを開発し、社内への浸透・展開を図り続けて爾来30年余、企業を離れても尚、
その延長の領域で働き続けています。

このレポートのタイトル「人生100年時代」と言うワーディングが、広く世に知られるように
なったのは、日本の高齢化研究にも着目していた、ロンドン・ビジネススクールの
リンダ・グラットン教授が、「ライト・シフト 100年時代の人生戦略」(原著 The 100YEARLIFE)が、
2016年に日本で公開されてからのことであるのは、ご存知の通りです。

超高齢社会が進む中、とりわけ、人生後半を迎えるシニア世代が、定年等で永らく働き続けた組織を離れ、
一人の市民として、新たな社会的な役割を担う人として、日々の生活を支える地域社会の中で、
新たな居場所や自分らしい役割を果たし、どのようにコミュニティへの関わりを築くことが
出来るかということは、とても大切なことの一つです。

定年後には、自から培った知識、経験を活かして地域社会に役立ちたい、生涯現役で働き続けたいと
願う人は、6割を超えています。しかしながら、一個人として、地域社会では具体的に何が求められ、
どのように地域コミュニティへの関わりを築いて行けば良いのか、具体的にどう第一歩を踏み出せば
良いのか、その解と指針を必要とする人は少なくありません。

シニアのセカンドライフを支援する本格的な取組は、「夢追塾」(北九州市)2005年、
「はちおうじ志民塾」(八王子市)2009年、「百才大学」(滋賀県)2013年、「セカンドライフセミナー」
(茅ヶ崎市)2015年他、柏市、三鷹市、横浜市など進取的な取組が順次展開されてきました。

複数のシニアのセカンドライフを永らく支援する中で、いくつかの重要な知見が得られて来ました。
 
1. シニアのセカンドライフの支援には、企業がシニア社員を対象に行う、ライフ・デザインや
ライフ・プラン・ワークショップでは補うことの出来ない、社会との関係性が大切な要素となること

2. シニアのセカンドライフの支援には、生きること、働くことの意味と同時に、人として、
より良い状態(ウェル・ビーイング)が重要であること

3. 永く生き続けることの、その人個人に則した、具体的な社会活動の実践・支援が重要であること

特に、健康寿命を全うする、日々の暮らしの中で、自分の役割を社会との関わりの中で創り続ける事
が大切になります。

人生100年時代のセカンドライフを支援する上では、以下の4点を明確にすることが求められます。

1. 超高齢社会を生きるとは、どういうことなのか

2. 人生後半に向かうとは、そしてそれをどう捉えるのか

3. どんな準備が求められるのか

4.どんな実践が必要なのか

加えて、シニアのセカンドライフの支援では、もっと遙かに若い世代の中で起こりつつある
新しい活動との間に、未来を示唆する新しい視点が、見いだされつつあります。

次回は、その新たな視点をお伝えします。
コロナウイルスに負けず、私達の日々の活動を大切にできることを願っています。
 
  ◆6月号に続きます◆