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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.73(1月号)…

キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"テクノファ養成講座8期生です。
◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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平成最後となった年末年始を読者のみなさまはどのように過ごされましたでしょうか。
さて、年末になると当たり前のように催される「忘年会」、
この言葉の語源について以前から気になっていたのだが、この機会に調べてみることにした。

なぜ「年を忘れるための会」なのか・・

忘年会とはその字のとおり、1年間の苦楽を労い、苦しかったことや嫌なことは忘れて、
また新しい気持ちで来年も頑張ろうという主旨で行われる飲み会や食事会をいう。

その起源は鎌倉時代まで遡り、もとは皇族などの上流階級の人たちが集まり、
一晩中和歌を詠んだともいわれ、現在のようなドンチャン騒ぎではなく、物静かで厳かな雰囲気の行事だったようである。

江戸時代に入ってから庶民の間でも年末に酒を酌み交わす習慣が生まれ、それから巷でも行われるようになったとのことだ。
因みに武家社会においては忘年会ではなく、主君に忠誠を誓う意味で新年会を重視していたようである。

新たな気持ちで新年を迎えるという部分は納得できるし、そうありたいものだと思う。
しかし、実際には既に形骸化しているというか、単なる「飲み会を催すための口実」になりさがっているような気がする。
飲んで騒ぐための口実というのなら、最近になって俄かに盛り上がりを見せているハロウィンや、なぜか初夏の果物であるはずのイチゴを乗せたケーキを食べなくてはならない?クリスマスにも似たようなところがあるように思えるが、日本における伝統的な文化といえる冠婚葬祭にしても、その多くが簡易化された略式が増えてきている。

もともと存在したはずの「本筋的な中身」が薄くなっていると感じるのは僕だけだろうか?
もっとも、形式を重んじるよりも、それに臨む精神性にこそ意味があるとは思うのだが、あまりの節操の無さに呆れてしまうこともしばしばだ。

そもそも、「昨年度はロクなことがなかった。思わしくない結果や歓迎したくない出来事ばかりだった・・」と今年の自分を不甲斐なく思うのであれば、なぜそのような展開となってしまったのかを振り返ることなく、飲んで忘れてしまってもよいのだろうか?という疑問が湧いてくる。
しっかりと「振り返り」を行ない、その経験を意識化することで今後に活かそうとする姿勢がなければ何度でも同じような失敗を繰り返す「懲りない人たち」でしかない。

ところで、振り返りといえば耳にする「反省会」という言葉だが、僕は「振り返り」と「反省」とは異なる行為として区別している。
というと誤解されそうだが、もともと反省とは書いて字の如く、自らの過去を客観的に省みることであり、気づきを得るために行なってこそ価値がある。
しかし、教育現場や企業等における反省とは、やらかしてしまった失敗や宜しくない行為、または誰かに迷惑をかけたなどの「悪しき評価」を前提に、いかに不本意であっても上からの命令で「させられるもの」でしかなく、その多くは「謝罪」とセットで行われているのが現状だ。

自分に落ち度はない!と思いつつ、書きたくなくとも書かされる「始末書」や「反省文」などはその典型といえるが、誰もが経験上知っているように、そのようなことを続けていても改善など見込めるはずがない。つまるところ懲りていないのは他でもない幾度もそれを「書かせている側」といえる。

他にも営業会議などで目にすることが多い「今年度の反省会」においても、出席者たちの多くが目標を達成できなかった理由を述べるなど「言いわけ」に終始しているようでは意味がない。
もはや「反省」の2文字の意味が勘違いされてしまっており、けっきょくは「罰」や「お仕置き」として捉えられていて実質的には「振り返り」になっていないのである。
やらかした行為や悪しき結果だけに焦点を当てるのではなく、その行為の奥にあったはずの「動機」や「思い込み」、「きっかけとなった出来事」、「触れたくない過去の失敗から湧く怖れや不安」など根底にある「背景」を探り、何が自分をそうさせたのか、または実行できなかったのは何が心にブレーキをかけていたのかを意識化しないままでは改めることなどできるわけがない。
しっかりと「振り返り」が行われていないから、性懲りもなく失敗を繰り返すのである。
つまり、自分を客観視することが欠けている形ばかりの「反省」では、いかにすれば許してもらえるか?といった窮地に追い込まれた状況から脱するための「言い逃れのトレーニング」でしかなく、じつの本心とは裏腹であっても、とにかく「言いわけ」が上達するだけであろう。
他者に向ければ「言い逃れ」であり、自分にとっては合理化(※:自分を守るための無意識的に働く防衛機制)となって自分を誤魔化すことになる。

しっかりと「振り返り」を行なうためには必須の条件がある。
まず、やってしまった行為によって生ずる後悔の念は一時的に脇に置き、善し悪しの判定的な評価は持ち込まず、ただ純粋に過去の自分を対象化(あたかも他者を観るかのように)しながら、その経緯を文脈的に理解しようとすることである。
所謂「自己理解」を目指すわけだが、自分を対象化できない者は「俯瞰や鳥瞰」によって自分の立ち位置や振る舞いについて自覚することはできない。

このように「振り返り」とは自己成長には欠かせない重要なものである。
問題を起こした者にかぎらず、誰もが自主的に行なうことが理想であり、できれば特にきっかけなどなくとも一定の期間ごとに自らを点検する意味で行ないたいものである。

せっかくの年末年始という節目の時期に、ただ飲んで騒いで過ごすのは、あまりに勿体ない。

さらに言えば、「一年の計は元旦にあり」と言われるが、計画を立てるためにも自らの傾向や、ものごとの捉え方のクセを知っておく必要があるのだ。

ということで、新年あけましておめでとうございます。
今年の1年が、あなたにとって大いなる飛躍の年となりますように・・

◆おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.72(12月号)…

キャリア・カウンセラー便り"近藤ひとみさん"テクノファ養成講座18期生です。
◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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「社会と取っ組み合うカウンセラーを目指して」
上級プロフェッショナル心理カウンセラー2級キャリアコンサルティング技能士、キャリアコンサルタント 近藤ひとみ

私が学んだ心理カウンセリングの先生の教えは、「カウンセラーは常に社会と取っ組み合わなければいけない」というものです。
その言葉は私の中に自然に染み付いており、カウンセラーとしての活動の原点であり、判断の基準となっています。

昨年秋、行政による初めてのSNS相談が行われました。
電話離れした若者の文化を尊重した結果であり、実際に対応数の1日平均を比べてみると、電話・メールでの相談が0.7件に対してLINEでの相談は39.1件(アクセス数は112.8件)と圧倒的でした。
そして今年3月には、厚労省の自殺防止事業の一環として1ヶ月間のSNS相談が実施されたのに続き、夏休み~新学期にかけては文科省の取り組みとして多くの自治体で中高生のためのSNS相談が行われたのです。私も今年3月以降、いくつかのSNS相談の現場に入らせていただきました。

中でも、ボランティアとして参加した大阪北部地震や西日本豪雨の被害にあわれた方々を対象としたSNS相談では、2011年の東日本大震災の時との違いを強く感じたものです。

2011年の災害時は、震災から1ヶ月半以上経って初めて現地に足を運び、リスニングボランティアとして被災者のお話を聞くことができたのですが、今回は数日後にはSNSでのカウンセリング対応ができたのです。

SNSを使ったカウンセリングに対してはさまざまな意見があることも知っています。
でも、スマホがあればいつでもカウンセリングを受けられるって素敵じゃないですか?
ポケットやカバンの中にカウンセラーがいるようなものです。
こうした社会の動き、社会のニーズに合わせて必要なスキルを磨いていくことも社会と向き合ってカウンセラー活動を続けていくことだと思います。

これはキャリアカウンセラーにも同じことが言えるのではないかと考えています。

10月にニューヨークのカウンセリングの現場を訪ねる研修旅行に行ってきました。
問題を持った子供たちのための施設「グリーンチムニーズ」、「ゲイメンズヘルスクライシス」というエイズの方々への対応の先駆者的存在の団体や青年を対象としたセクシュアルマイノリティの薬物依存への対応を中心とした施設など、いろいろなところを訪問してきました。

そこではメンタルヘルスもキャリアも重要な要素の一つであっても唯一の目的ではなく、いずれも貧困や家庭問題などと密接に結びついた問題の中で、カウンセラーだけではなくソーシャルワーカーや医療関係者等、さまざまな立場の人たちが力を合わせて対応している、まさに社会問題と真っ向から向き合った世界でした。

私はこれからも、自分なりに社会との取っ組み合いを続けていくつもりです。
そうした活動を続けていくことが、キャリアカウンセラーとしての自分の成長にもつながると信じています。

◆おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.71(11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

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この10月でまたひとつ歳を取り62歳になった。

ここ数年、なぜか夕刻になると胸の奥が空洞になっているかような感覚に陥り、なんとも言いようのない虚無感に襲われる。
仕事の帰りに立ち寄ったスーパーで流れる「閉店の音楽」がなんとも虚しく、周囲に人がいるにもかかわらず涙することもある。

「釣瓶落し」と言われるが如く、あっという間に暗闇に支配される秋の夜は、どうしても「終焉」のイメージと結びついてしまう。

・・今から12年ほど前、50歳の誕生日を過ぎたあたりにも妙な感覚に苛まれたことがある。
当時は、これまで頑張ってやってきたことや、今も努力して続けていることが「もしかして何の意味もなかったのではないだろうか・・」、「現在やっていることなど全く無駄なのではないか?」といった絶望感が伴う虚しさに心が支配され、生きる気力が急速に減退し、「意味がないのなら、いっそ死んでしまおうか・・」と思ったものである。

おそらく精神科に行けば「それは、うつ病ですね」と診断され、すぐに抗うつ薬を処方されてしまうのだろうが、あれは投薬で改善されるような類のものではなかったと思うし、無理に治すことが正しい選択だとも思えない。

かのC・Gユングは「人生の正午」という概念を以て、こういった実存不安的な状態について解説してくれている。
言わば、これは言わば男性の更年期であり、これを乗り越えることにより次の段階へと開花する良き意味での「兆し」でもあると語っている。(※:ゴーギャン・コンプレックスの例もあります。)

当時は、ありがたいことに2人の師が僕の身を案じて支えてくれたことによって何とか危機を脱した経緯があるのだが、もし彼らが僕に関わってくれていなかったら、けっして大袈裟ではなく、いま僕はこの世にいなかったかもしれない。

いまにして思えば、かのような通過儀礼的な体験のおかげで、それまでに学んだことや構築してきた人間関係に対して敢えて意識的に距離を置くことができたわけだし、その結果として新たなもの(状況や知見)を手にすることができたわけだが、還暦という節目を経てまたしても再燃というか、「揺れ」が起きてきている。

(どうも誕生日が引き金になっているようだ。たしか昨年も似たような気持ちになっていたなあ・・)

突然に目が覚め「あ、これまでのことは全て夢だったのか・・なんてこった・・」
などというオチが待っていたらどうしよう・・などと怖くなったりもする。

独り暮らしである僕は、良くも悪くも自分のために使える時間がたっぷりあるために、何かに囚われてしまうと脱することが難しい。
自分と向き合うこと。自分を俯瞰して観ること。
物理的に1人の時間が確保されているので、気を紛らそうとテレビやネットに逃げ込みさえしなければ、いくらでもそのモードに入ることができるのだが、ヘタをすると戻ってこられなくなってしまう危険もある。

「自己との対話」・・若い頃に憧れたフレーズだが、実際には聞いてイメージするほどカッコいいものではないようだ。
ドロドロした混迷の世界に意図的に埋没し、そこにじっとして身を浸らせることができるのは、「観察する自己(客観性とはちょっと違う)」がしっかりと機能していてこそであり、もし目を閉じて状態に身を委ねてしまえば、闇に囚われたまま浮上することができなくなってしまう。
それゆえ、浸っている間も、もうひとりの冷静な自分が僕の襟の部分を放さずに掴んでいて、いつでも引き上げることができるようにしておかねばならないのだ。

12年前にお世話になった2人の師は、悲しいことに亡くなってしまっているので、もう助けてはくれない。自分だけが頼りである。
こんなことを記事に書くと、読んでくださっている方々は「あんた、大丈夫?」と案じてくださるのかもしれないが、いまのところ このように気持ちを文章化できる分だけ自己観察が機能しているので問題はなさそうだ。
明日も明後日も、何ら問題なく仕事をこなすことはできるし、暗闇に踏み込むことさえしなければ墜ちることもないし以前のように、引き込まれそうになることもない。
(目の前の「忙しさ」のおかげで深みにハマらずにいるといってもいいかな・・)

「そんなふうに読み手のことを気にかけるくらいなら、こんな内容の記事を書かなきゃいいじゃないか!」と思われるかもしれないが、こうやって「今の自分を言葉に著すこと」によって自分の姿を発見することもできることを読んでくださっている方々に知って戴きたいという思惑もある。
それも含めて、今日いまの僕が此処に在るのだ。

もの想いに耽ってしまうのは秋という季節のせいなのか・・?
そうだとしても、還暦を過ぎてからの秋は・・なんというか若い頃に感じていた「哀愁(寂しく悲し)」とは全く異なっていて、「虚しさ」と言うほうがまだ近い感じがする。
(他に適切に表現できる言葉や言い回しが見つからないし、僕には文学的才能がないようなので仕方がない。)

他者の体験については解らないし、心境について尋ねてみたところで「へえ・・」としか応えることしかできないから何も言えないが、僕としては還暦を過ぎて初めて見える世界(心象的風景)があるのだな・・こんなものか・・という感じである。

きっと一週間もすれば「62歳になった自分」を受け入れ、かのような違和感にも慣れ、何事もなかったかのように日々の生活に戻っていくのだろうが、来年もまた「63歳の自分」を初めて体験し、今年とは多少なりとも違った感覚を持つのだろうか・・?

◆おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.70(10月号)…

キャリア・カウンセラー便り"佐藤彩有里さん"

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◆「キャリアと資格」キャリアコンサルティングの現場から◆
2010年にテクノファで養成講座を修了した10期生です。
会社員をしているときに上司の勧めでテクノファを知りました。
現在は人事・キャリアコンサルタントとして、企業などの組織や個人に対するサービスを提供する仕事をしています。

講座を修了する際、先生方から「今日が始まり。一生学び続けてください」と言われた言葉を思い出します。
本当にその通りで、現代のように労働年数が長くなっており、スピードが求められる社会経済環境でキャリアを支援するということは、即ちこちらの知識やスキルもアップデートしていかなければならないということですが、逆に言うといろいろなことを学ばせてもらえるチャンスがある、得な職業だなと感じています。
また、以前ある方に「クライエントの限界はあなたの限界。あなたが乗り越えた時にクライエントにも同じようなことが起き始める」と言われたことがあり、これまでの経験から、本当にその通りだと思うことが多くありました。

キャリアコンサルタントの皆さんにはそれぞれ強みがあると思いますが、私もキャリアコンサルタントという資格に何を「×」(掛ける)のかということを考えてきました。
私の場合、まずは経験のあった「人事」という職業にそれを×(掛け)て人事コンサルティングの仕事を始めました。
ちょうどリーマンショック以後のリストラ策で企業内の人事担当者が不足しているという時代背景もあり、コンパクトに動けて必要な時だけ使えるというサービスを提供することで、中小企業だけでなく、大企業でも仕事をいただくことができました。
そうしたところ、いろいろな業界の人事戦略を知ることができるようになり、未経験者や他業界への転職を希望している個人の方の相談に対してより的確なアドバイスができるようになり、クライエントの採用率も高まりました。

また、キャリアコンサルタントになるだいぶ前から勉強していた依存症について、いろいろなきっかけから「コミュニティ強化アプローチ」という介入方法を日本に輸入する手伝いをするようになり、英語もそれほど得意ではなかったのですが、今ではプログラムの通訳をするようにもなり、アジアリージョンを統括するための団体も立ち上げました。

そして、そのプログラムのコンテンツをキャリアコンサルティングに取り入れるということを始めたのですが、これは多分世界でも稀な事例だと自負しています。

いずれは逆方面として、依存症問題を持つ方ご本人やご家族に対する介入方法にキャリアコンサルティングの手法を取り入れるということもしてみたいと思っており、「依存症」というキーワードも「×️」に加えたいと思っています。

偶然のようにも思えますが、よく経緯を思い出してみると過去に始めた小さなことが契機になっており、まさしくクランボルツ博士の言う「Planned Happenstance」なのだと思います。
数年かかってようやく蕾になるかならないかだと思うので、日頃から自分の興味関心に水や肥料を遣っておくことが大事だとつくづく感じています。

私たち自信が「こだわりすぎない」というスタンスも重要だと考えています。
今はこういった仕事をしていますが、私もまたどこかでキャリアチェンジを図るかもしれません。
「ずっと◯◯」という肩書きに縛られるのではなく、内的キャリアを大事にするという教えもテクノファで教わったことです。

私たち自身の柔軟性が、クライエント支援の幅を広げると信じています。

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.69(9月号)…

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キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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◆「自分らしい生き方ってなんだ? 今さらアナ雪!」

面談の席で「私は自分らしく生きてゆきたいのです。」という言葉を聞くことが多い。
一見すると前向きな発言と取れなくもないのだが、じつはそうでもない。
自分が何者で、どのような人間で、どういった自分が本来の姿(真の姿)なのか?
それを十二分に自己理解した上で語るのであれば、まだいい。
しかし、もしかすると、そこには「理想とする自分の姿」を思い描いていたり、今の自分を否定するような意味で「こんなのは私じゃない。もっと自分らしく!」というのであれば、それは今の時点では達成できていない中途半端かつ偽りの自分のことでしかないし、憧れを抱いたまま背伸びをしている状態に過ぎないことになる。

テレビのCMを観ていても「私らしく!」というセリフがやたらと多く目につく。
これはおそらく、人生というキャンバスに自由に自分を描くことができる私。
という意味なのだろうが、どうやら「ありのままに」と混同されているような気がする。

「ありのままに」と「自分らしく」は似ているようだが、じつはまるで意味が異なる。
「ありのまま」は、書いて字の如く、自然である様というか、何も飾らず仮面をつけることもせず、もちろん相手に対して愛想笑いなどする必要もなく、部屋の中に独りで居る瞬間と集団の中に居る自分とを比較しても何ら差がない状態にあること・・と言えるだろう。

対する「自分らしさ」とは、そこにあきらかに意図的な拘りがあり、「こうあるべき」といった「枠(囲い)」を感じるのだ。

もし、あなたが身近な友人から突然「そんなのおまえらしくないぞ!いったいどうしたというんだ?」と言われたら、どんな気持ちになるだろう?
きっと気分を害し、「なんだよ!いったい俺の何が解るって言うんだ!俺の何を知っているというんだ!俺に対するイメージを勝手に作らないでくれよ!」「余計なお世話だ!」
とでも言い返したくなるのではないだろうか?

他者から勝手なイメージを持たれ、それを押し付けられたら不快になるのも当たり前である。
しかし、おかしなことに、人は自分に対しては「こんなの私らしくない!」などと平気で言うのである。
「らしく」という言葉遣い自体が既に何らかの「規定」に縛られている状態であり、すでに「~でなければならぬ」「こうあるべきだ」といった意味を含んでしまっていることに気づいているだろうか。

自らの自由を縛っているのは、他でもない自分に対する規定そのものなのだ。

ディズニーのアニメ映画「アナと雪の女王」におけるLet It Go は、「ありのままで~♪」と訳されていたが、知り合いのアメリカ人に教えてもらったところ、あれは元々「手放す」という意味であり、「ありのままで」というよりも、「もうどうにでもなればいい!知ったこっちゃない!わたし、もう勝手にすることにしたわ!」という翻訳が妥当だという。
言わば冬山に向かうエルサは「ヤケクソ状態」だったわけである。
なるほど、シーンを観てみれば身に纏う服を脱ぎ捨て、手袋を捨て、人里を離れた山奥に氷の城を築いて引きこもる様子が描かれている。
けっして「ありのまま」ではなかった。
本当に「ありのままで」と歌っているのであれば、わざわざ山にこもる必要などなく、周囲に誰がいようと独りであろうと関係なく、どこでも「ありのままの自分」でいられたはずである。

そのようなわけで、つい僕らは、そこにどのような意味が込められているかを理解せずに軽々しく言葉を使ってしまうことが多いようだが、「ありのまま」もまた、本当の「ありのまま」とは、どのような自分のことなのかも意志的に理解しようと試みて初めて手に入るものではないだろうか。

自己を見つめることなく、真の自分の姿など見えるはずもない。
ましてや自分を規定し自ら自由を放棄する「自分らしさ」など論外である。

人は、何らかの役割を担っていたり、期待される立場に在る際に「~したいと思います」と「~せねばならぬ」の区別が曖昧になってしまうことが多いようだ。

私の目標は・・から始まる宣言は、果たして自らに対して主体的に課した目標なのか、それとも自分が所属する集団の要求に応えるべきといった受動的なものなのか?

自分の本当の気持ちを見失った状態で事に臨めば、むろん次第に苦しくなっていくことだろう。
それは「偽りの自分」だからである。

◆おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.68(8月号)…

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キャリア・カウンセラー便り"佐々木新吾さん"

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◆「キャリアと資格」キャリアコンサルティングの現場から◆
キャリアコンサルティング技能士2級 佐々木新吾
民営職業紹介事業者キャリアカウンセラー歴22年。

転職相談、就職支援の現場で感じている「資格」とキャリアについて感じることを今回はお伝えできればと思います。

自分の目指すキャリア形成のために資格取得を目指すことはよくあることです。
何か資格を取得することは前向きな行動でとても良いことですね。
英語力をアピールする英語検定やTOEIC( TOEICは資格ではありませんが、実際のところ履歴書の資格欄にスコアを書くことが当たり前になっていますので、資格のような扱いになっています)。
学生の就活の現場では、英語を実務で使う仕事をしたいと考えたときには、英検やTOEICのスコアを一生懸命高いところを目指して勉強している学生も多いと思います。
とても前向きな行動で良いですね。

また、経理部門や会計事務所に就職したいと考えると簿記や税理士資格を取得して、知識のあることをアピールします。
社会人としての実務経験のない学生が、資格を取得して知識やポテンシャルを持っているということをアピールするのはとても良いことですが、一方で、社会人、特に社会に出て10年以上となると、実務経験がなければ、資格を持っているからキャリアを高く評価されるものではないというのが厳しいようですが、現実となっています。

キャリコンサルタントの資格については、後回しにさせていただきますが、皆さんはキャリアコンサルタントとして、相談者の話を聞くときに、どのように対応されていますか?
実務経験が、乏しいけれども資格取得を目指している相談者がいたとします。
資格取得の目的は、より良い条件で就業することです。
しかしながら、現実的には実務経験を相談者は持っていない。

例えば、経理部門で仕事がしたいということで、簿記2級の取得を目指している相談者がいらして、実務経験はお持ちでないないという状態です。
相談者自身が自らのキャリアを切り開くために簿記2級を取得しようとしていることはとても良いことで高く評価されるべきものであると思います。
ただ、簿記2級を取得したから、すぐに経理部門で仕事ができるとは限らないのが現実です。

相談者は、そのことも良く理解しているけども頑張って簿記2級を取得するために今持っているエネルギーを資格取得にすべて注ぎ込んでいるように見えます。
私たちキャリアコンサルタントは、そうした相談者にどのように向かい合えばよいのでしょうか。

個々の相談者の年齢、パーソナリティー、持っている価値観、知識や情報の違いにより、キャリアコンサルティングの中身は違ってくるので回答は一つではなく、相談者の数だけ回答はあるでしょう。

それでは、私たちが取得している「キャリアコンサルタント」資格を皆さんはどのようにお考えでしょうか?
実務経験をお持ちでなくてキャリアコンサルティング資格を目指されている方も実際には多いと思います。
実務経験が無いけれどもキャリコンという資格を取得しようとして状況において、キャリコン自身は、自分のキャリアをどのようにキャリアデザインしているのでしょうか。

キャリアコンサルタント資格がゴールになってしまっていませんでしょうか?

キャリアコンサルタント資格ほど資格を取得してから、本当のキャリアコンサルタントとして、すべての活動が始まるという資格はないのではないかと私は感じています。
キャリアコンサルタント資格が国家資格となり、国家資格を取得すれば、キャリアコンサルタントの仕事ができると考えていらっしゃる方もいるかもしれません。
確かに有資格でないと始まらない仕事ではあるのですが、キャリアコンサルタント自身の考え方としては、資格取得はゴールではなく、キャリアコンサルタントとして資格を取得して初めて、この世に誕生して産声を上げた赤ん坊の状態であるのではないでしょうか。

資格を取得してから始まるステージは、あくまでもスタートラインに立っていると考えるのがよいのではないでしょうか。
キャリアコンサルタント資格を取得したからキャリアコンサルティングができるというのは過信となってしまいます。

そのようなことを考えるとキャリアコンサルタントほど、資格取得してから、その個人がどうあるべきか、何を考え、どう行動すべきなのかを問われる資格はこの世には存在していないように強く感じています。
実際の現場では、実務経験が豊富なキャリアコンサルタントも経験の乏しいキャリアコンサルタントも、いつでも同じ重さの責任のある立場です。

キャリアコンサルタントはキャリアコンサルタント自身のキャリア形成の歩みを止めることのできない仕事であり、他者に寄り添いながら、永遠に課題が続く道を進んでいく仕事なのだと感じています。

社会がキャリアコンサルタントの存在価値を認めるには、自己研鑽、自己探求が永遠に続いてしまうという仕事です。
なかなか厳しく険しい道が待っていますが、とても遣り甲斐のある仕事ではないでしょうか。

自己研鑽を永遠に続けなければならないキャリアコンサルタント。
ネットワークが必要な時も多く遭遇します。

過信せずに自分のスキルを向上させていくことを忘れずに相談者に向かい合っていく。
私たち自身も時には助けが必要になりますが、いつでも相談者に対する責任の重さは忘れないように、自分に言い聞かせながら仕事をしなければと、このコラムを書いていてあらためて強く感じています。

◆おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.67(7月号)…

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キャリアコンサルタント便り"鈴木秀一さん"

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「旧友との関係を断つ勇気」
「断捨離」・・この語句は、すでに一般用語として定着してしまっている感があるが、ウィキペディアによれば以下のように説明されている。

『断捨離とは、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想であり、山下英子の著書において発表された。
なお、「断捨離」ないし「クラターコンサルタント(「暮らす」と「ガラクタ」を組み合わせた造語)」は山下英子の登録商標となっている。』(引用終わり)

もともと日本には伝統的な文化のひとつとして「もったいない」という観念があるわけだが、これがあまりに行き過ぎるとモノに対する執着を生み、なかなか捨てることができなくなる。
捨てるという行為に妙な罪悪感が湧き上がり、「まだ使えるモノを捨ててもよいのだろうか・・」という自責の念に駆られてしまうのである。
やがて、役に立たなくなったモノまで残すことになり、徐々に家の中が埋め尽くされ、最終的に自身が快適に過ごすための空間までもが圧迫されることによって心身の健康にまで害が及んでしまうという悪しき環境に至ってしまう。

断舎離は、このような状況に陥ることを避けるために意志的に捨てる決意と敢えて断行する覚悟が必要ではないか?といった提案と言えるだろう。

この提案は、既にご存知のように既に圧迫に悩んでいた者たちにとって「整理」や「整頓」について再考するきっかけとなり、結果として多くの支持を得ることとなる。

さて、こういった考え方や捉え方はモノだけに留まらず、果たして人間関係にも言えることなのだろうか?というのが、今回のテーマである。

先日、「旧友を捨てる勇気」というタイトルのコラムを見つけて読んでみたところ大いに考えさせられた。
副題として「50歳を過ぎたら同窓会に出席してはならない」とある。
内容としては、以下のようなものであった。

一部、抜粋~
同窓会に行けば、たいてい病気と薬と副作用の話、そして昔話で会場が埋め尽くされる。

「最近、手術をしたんだよ」
「この前、具合が悪くて病院に行ってきたところだ」
「こういう薬を飲んでいるんだ」
「その薬は副作用があるみたいだぞ」
と、こんな会話が延々と続いている。
別のグループでは、
「最近、墓を買ってさ」
「昔は楽しかったな」
「お前、彼女とつき合っていただろう?」
などといった話をしている。

病気、死、懐古主義・・。
そういう実のない話で場を温めるのも、たまのことならご愛嬌でいいだろう。
その後に、
「いま、こんなことを計画している」
「来年はこうしようと考えている」
「資格を取得しようかと思ってね・・」
などと明るい前向きな話題がつながるのであれば良いのだが、同窓会というところでは、そういう風に話がつながるようなことがほぼないと言ってよい。

この傾向は年齢を重ねるほどひどくなる。
ましてや、「昨年ノーベル物理学賞をとった人の本を読んだのだけど、科学の今後についていろいろ考えさせられたんだよ」というようなことを語ろうものなら、完全に浮いてしまうだろう。
「2100年になると、日本の人口が5060万人になるというけど、そのとき、日本の行政区域は今のままでいいのだろうか」
「あなたは憲法改正についてどのように考えている?」
などという、教養に裏付けされたような話、未来の話、時事的な話は一切ない。

そういう人たちの集まりには、若い頃の陽気さも軽やかさもなく、不快な思いだけが心のなかに沈着する。
帰路は足だけでなく心も重い。
だから50歳を過ぎたら、今までの友人との縁を徐々に整理しはじめたほうがいい。
70歳になったら、「古い友人」とは出来るだけ縁を切って、「新しい友人」への切り替えを完了させたいものだ・・・

以上が、その要旨である。
同窓会における会話の多くは、たしかに建設的かつ発展的内容には程遠く、頻繁に登場する話題と言えば過去の思い出が主である。
かといって、「現在の私」に関する内容といえば、悲観的かつ絶望感を喚起させるような愚痴やボヤキばかりが目立つ。

しかも、自分だけでなく他のみんなも多かれ少なかれ健康維持に難があるという状況を知ることで同族意識的に安心感を得るような妙な流れがあり、そこに居合わせるだけで不健康な状態に引きずり込まれてしまうかのようなドロドロした構図も見え隠れする。
せっかく時間を作って集まったのだから、これから自分たちはどのように生きていくのかについて熱く語り合う前向きなやり取りになれば良いのだが、聞かされているうちにこちらまで意気消沈してしまうといった重く暗い空気が会場内に充満している。
そのような場に我が身を置くことは全く以て時間の無駄であるし、なにより気分が滅入ってしまうような展開だけはできるかぎり避けたいものだ。
せいぜい、会が終わった後の帰り道では足取りが重くなり、もはや自分の未来に可能性などひと欠片も残っていないのかも・・と気持ちが沈んでしまうのがオチである。
となれば答えは明白だ。
早々と人生の幕を引こうとする旧友らとの関係を絶ち、これからは自分たちの未来について前向きに語り合える友人とのみ接触すると決めることである。

人の成長に限界はない。
生涯学習、生涯発達という言葉が示しているように、自らの寿命が尽きるまで自己実現を追求し続けることこそが「人生を全うする」ということであり、すでに人生を諦めた者たちにつきあう必要などない。
と、あえて言い切ることにしよう。

いささか強引な書き方になってしまったが、これを書いている私自身もまた還暦を過ぎ、いま改めて人生の再構築について模索している身であるが故のことである。
残された時間をいかに有意義なものとするか。そして後悔しない人生の選択とは何か?
やはりそれも意志決定に拠るものでなくてはならない。
自身にとって好ましい環境を作るのもまた自分なのである。
時間は有限である。この事実は年齢を重ねるほど実感的なものとなっていく。
それこそ「もったいない」の意味について改めて再考する必要があるのかもしれない。

おわり

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.66(6月号)…

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キャリアコンサルタント便り"安川由華さん"

◆このコーナーは、活躍している「キャリアコンサルタント」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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6月、大型連休を経て、新しい生活に慣れて来る方も多いこの時期。
私自身も新年度を迎え、昨年の大きな転機を思い出している。

昨年4月、夫の転勤に伴い、東京から四国へ引っ越しをした。
急に仕事を退職することになり、大きく気持ちが揺れた。
家族で引っ越しをするだろうことは、随分前から予想されていたことで、いざその時が来たら、全国どこでも自分の力を活かせるようにと、キャリアコンサルタントの資格取得を目指してきた。
2006年から始めた、女性向けサービスのスーパーバイザーの仕事を通じて、様々な企業の雇用状況を知り、そこで働く人の想いを聞き、より多くの人が「やりがい、働きがい」を持って仕事ができるようなお手伝いをしたいと思うようになった。

「キャリアコンサルタント」という仕事があると知った数年後の2013年、テクノファの養成講座受講をスタート。
同期に恵まれ、毎回の講座がとても楽しく、大変良い学びを得ることができた。
その後、国家資格2級へチャレンジし、3回目で合格。2015年のことだった。
その間に長女を出産、翌年には育児休暇明けで仕事復帰と、忙しく過ごす中で、いつしか「キャリアコンサルタントを生業」に、という気持ちは正直消えかかっていた。

そんな中、昨年、引っ越しのため、慣れ親しんだ会社を退職せざるを得なくなった。
家族の都合とはいえ、突然の退職は会社にも迷惑をかけてしまう。
そこで、会社からの提案もあって、業務委託という形で、パソコンや電話を使って遠隔で仕事を続けて行くことになった。
仕事への責任を持つ(急に辞めない)ことは、会社での学びである。
仕事は続けよう、という腹は決まった。
一方で、この機会をチャンスと思う自分もいた。
「このために、資格取得を目指してきたのだ」という原点に立ち返ることができた。
そこで、これまでキャリア関連の講習会等で出会った、キャリアコンサルタントの先輩方に連絡をさせていただき、直接のお話、あるいはお電話で、働き方・お仕事にかける想い・アドバイス等々を頂戴することができた。
これほど心強いことはなく、出会えたことへの感謝を噛みしめながら東京を離れた。

その後、遠隔での仕事がスタートしたが、うまくいくことばかりではなかった。
情報伝達の遅れや、コミュニケーションミス、そして、整理できていたと思っていた“退職”という事実に対する混沌とした想い…
今まで会社に守られていた自分、意外と自立ができていない自分を実感し、1人という環境もあって気持ちが不安定になることも多々あった。
まさにトランジションを体験した1年。ニュートラルゾーンの混乱、苦悩を味わった。

しかしながら、時が経つにつれて中立圏(ニュートラルゾーン)から、開始(新しい始まり)に向かっていく自分も見えてきた。
雇用形態はどうあれ、仕事を続けられることは安定感がある、これまでと変わらないやりがい・働きがいもある、仕事の中からも、学べることが沢山ある、今の仕事をしながら、キャリアコンサルタントとしての仕事も受けて経験を積むなどのやり方もある…
こういったことは、仕事で出会うクライエントの皆さんやキャリアコンサルタントの先輩方が教えてくれた。
自分の力だけでは、乗り越えられない1年であった。
自分自身がトランジションを体験したことによって、仕事をされている多くの方が自分と同じような状況になる可能性があり、悩むこともあるだろうと、身を持って実感することができた。

この体験は、キャリアコンサルタントとしてもとても役に立った。もしもクライエントが、ニュートラルゾーンに置かれている場合には、相手の気持ちに寄り添えるだろう。
その気持ちに共感しながら話を聞いて、対処方法を一緒に考え、そして、クライエント自身が答えを見つけ出していく手助けをしたい。

仕事も、自分自身の予期せぬ体験も、全て自分の糧として、周囲の人のために使っていくことができるキャリアコンサルタントでありたいと思う。

おわり

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.65(5月号)…

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キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"

◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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春は、暖かな風が心地よい気分に誘ってくれるのと同時に、新しい環境に馴染もうとするがゆえに精神的な消耗が激しい季節でもある。

学生であればクラス替えや進学に伴う別れと出会いがあるだろうし、就職が決まったばかりの新入社員であれば、学生気分が抜けないまま社会の厳しさに晒され、これまでとは勝手が違う場面に出くわし驚く毎日だろう。
異動による転居で住み慣れた地域を離れた方であれば、言葉や文化の違いに戸惑うことだらけだろうし、定年を迎えて退職された方なら、一歩も外に出ることなく一日を終えてしまうことに何となく罪の意識が湧くといった妙な感覚を味わっているかもしれない。
いずれにしても、人は環境の変化に弱いものだし、潜在的に変化そのものに対する怖れも持っている。

物理的な変化はもちろんだが、こと人間関係に纏わる問題に関しては特に膨大なエネルギーを消費する。
それは「気疲れ」となって身体症状を伴う極度の疲労感として感じられることだろう。
集団主義的な色合いが濃いと言われる日本では「郷に入らずんば郷に従え」との諺もあるように集団への適応が求められることが多い。
「適応」を辞書でひくと「環境や状況に適合して著しい葛藤や不安を体験することなく生活できるようになること」とある。
無意識的な変容については「順応」と書いて「適応」とは分けてあるようだが、なるほど順応力という言葉はあまり一般的ではない。
一方の「適応」が、自ら形態を変化させ、新しい環境に合わせようとする意思や意図があってのことであるなら、それは一種の能力として捉えることができる言わば適応力である。
「適応力」の意味としては「柔軟性があること」、または「周囲の状況や場面、空気を読み取りながら新たな環境に自分を馴染ませていく力」ということになるのだろうが、集団に対する適応力とは「本当の自分を一時的に脇に置き、集団内で摩擦が起こらないように自らを調整し抑制できる力」と解釈することもできる。
適応力があることは周囲からの覚えもよく、高い評価に値するかともしれないが、それが「ありのままの自分」を如何に抑え、摩擦が起きないよう滑らかに演じられるか否か?
という意味であれば、もちろん帰宅してからの疲労感は尋常でないだろう。
となれば、いつまでもそのような抑圧状態を続けられるはずがない。

時間の経過と共に自由自在に動けるようになるためには、少しずつでも「ありのままの自分」を表出しながら、今度は逆に周囲に認めさせることも並行して行なっていく必要がある。
そのうち周囲も慣れてきて警戒心を解き、「ああ、こいつにはこんな一面もあるのだな・・」と受け入れてくれるだろうし、中には「きみは、一体どんなヤツなんだ?」と関心を以て接してくれる人がいるかもしれない。(このような接し方をしてもらえれば、遠慮が不要である分だけ楽である。歓迎会などの機会も上手く使おう。)

我々は目に見えないところで、環境の変化に応じてこのように難しく大変な作業をこなしているのである。

最後の部分、「徐々に自分を出して行く」ということについてもうひと言つけ加えるならば、この重要な作業を怠り、いつまでも仮面を被っていると次第に限界に達し、遂には精神的にも支障を来してしまう。
なかなか集団に馴染めないという方は、小さな勇気を以て「小出しでいいから自分を表出すること」を意識的に行う必要があるのだ。

さて、待ちに待ったGWだが、ほど良い時期に訪れる骨休めの期間でもあるが、あまりにも無理を続けてきた方にとっては、復帰できない方向に向く危険な時期でもあることを予め知っておく必要がある。
心の健康を保ち、五月病に陥らないためにも「自己管理(セルフケア)」を忘れないでおくことが重要である。

おわり◆

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.64(4月号)…

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キャリア・カウンセラー便り"南光智子さん"

◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの近況や情報などを発信いたします。◆
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ちょうど10年前の2008年3月にテクノファでのキャリアカウンセリング養成講座を修了しました。
8期生となります。
受講する動機は曖昧なもので、当時の私は、専業主婦で50歳を過ぎていました。
講座の初日に自己紹介の場面がありましたが、同期のメンバーは第一線で活躍(仕事)している方々がほとんどで、私は「場違いなところに来てしまった」という後悔の気持ちだったこと、今でもその時の心細かった気持ちは忘れられません。
特に、講義では「キャリア開発とMBO」「OJT」など、日常聞きなれない言葉が飛び交い、頭の中は真っ白。
ですから授業についていくのも困難でした。

どうにか無事に修了証をいただきましたが、正直内容の理解もできていませんでした。
ただ、養成講座を終える頃、私の意識が変わっていることに気が付きました。
それは、家庭の中の役割だけでなく、社会の中での自分の役割、価値を見出したいと強く思うようになったことです。
仕事に就きたいという気持ちと同時に、社会福祉への貢献という役割をしたいという思いでした。
これこそ、内的キャリアなんでしょうね。

でも、実際何をしたらいいのかわからず、まずは松戸市で主催しているボランティア講座(女性支援)を受講することにしました。
そこで知り合った方の紹介で、市川市で生活保護を受給している人たちへの就労支援相談、そして長期失業者の就労支援相談と繋がっていきました。
並行して婦人科クリニックでの受付業務(カウンセリングも)のパートもしていました。
週6日勤務のハードな体制で働いた時期もあります。
忙しくもやってこられたのは、誰かのための手助けができているという実感があったからです。

自信を失くしている相談者に寄り添い、その人も気が付いてない長所や強み、可能性に目を向けた時、相談者は自信を取り戻し、一歩進んでいくことができました。

現在は、就労支援業務からは離れましたが、NPO法人対話の会(千葉)、NPO法人RJ対話の会(越谷)という2つのNPOで活動しています。
活動としては、相談者と相手方との対話をつなげること、少年院での矯正教育の一環でのグループワーク、ペアワーク、高齢者デイでのトーキングサークルなどの進行役など。
いずれの活動においても、対話が基本となっています。
相手を深く理解しようという対話です。
これは、テクノファの養成講座で繰り返し勉強してきた「受容・共感・自己一致」が必要であると実感しています。
講座を受けた当時はピンとこなかった点も正直ありますが、今だったら先生方が伝えたかったことがもっと頭と心に入っただろうなと感じています。

対話の会への相談として、私は性虐待の被害者や子どものいじめ問題に取り組みました。
いじめの相談は小学3年生の母親からでした。
その男の子は、いじめがきっかけで30日以上不登校になっている状況でした。
いじめ問題は学校も深く関わっています。学校側の対応に双方の親たちは不満を持っていました。
いじめの被害を受けた子、いじめをしたと思われる子、双方の家族、そして学校側との面談を何度も重ねると、お互いの気持ちの誤解(ボタンの掛け違い)があることがわかりました。
いじめた子のストレスも見えてきました。
中立・公平な立場である第三者の私たちが間に入ることでお互いを理解し合えることができました。
相談を受け、対話の会を開けるまでには半年近くかかりましたが、お互いが満足する結果が得られました。
それぞれの思いや考えをじっくり聴く時間を経て対話の会を開いたからだからこそです。

4月からは家庭裁判所の調停委員を務めることが決まっています。
テクノファで勉強してきたことや今までの経験を活かして、聴くことを大事にし、当事者双方ともが解決への意欲を高めていく仲立ちができる調停委員を目指していきます。

おわり