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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.160(2026年5月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの

   近況や情報などを発信いたします。◆

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「無常を知り、執着を捨てよ」

人生は「出会いと別れ」の繰り返しである。

年度始めとなる4月は進学や就職、または職場における配置替えによって新たな環境下に
「適応」することを強いられる時期である。
それは昨日まで慣れ親しんだ環境に別れを告げることを意味するわけだが、先行きへの
不安と名残惜しい気持ちを払拭できず動けなくなってしまう人が多いようだ。
しかし、いつまでも名残惜しさに浸っていては新たな環境に慣れるのに長い時間を要する
ことになる。

ということで、今回は釈尊の教え「無常を知り、執着を捨てよ」について書いてみようと思う。

この言葉は死期が近づき入滅を迎えようとしている釈尊(仏陀)が、
「自分がいなくなった後に弟子たちが悲観に暮れて精進を怠るようなことがないように」
と発した最期の教えとして語り継がれている。
意味合いとしては『変化に抗うことに伴う苦しみから逃れるためには、握りしめている想い
(執着)を手放すことによって安らぎが得られる』という人生訓としての教えであり、これこそ
が仏教の根幹とも言える。

まず、万物は変化し続ける(諸行無常)という自然の摂理をしっかりと理解し、状況が変化
するのは「至極あたりまえのこと」として受け入れることで執着から解放され、苦しみから
救われて穏やかに生きることができるという「智慧」である。
逆に言えば、意志的に執着を手放すことによって世の変化(新たな状況)を受け入れる
ことができるとも言える。

誰しも生きていれば様々な災難や困難に出くわすものだが、人は目の前に差し迫っている
難題に振り回されるだけでなく、それ以外にも「未来のこと」を想えば「最悪の結果になるの
では・・」と不安(悲観的予測)が湧き、一方で「過去のこと」を思い起こせば「なぜ、
あのような行動をとってしまったのだろう・・」と後悔の念に苛まれる。
いずれにしても、これら意味のない所業によって、せっかくの「いま」が台無しになることに
違いがない。

何より優先すべき「今しかできないこと」、「今だからできること」が、「未来や過去」に翻弄
されていては見えなくなってしまうのだ。

昨日までの「慣れた日常」は二度と戻ってはこないし、いかに先のことを案じても思い描いた
通りになることなど稀である。考えるだけ、想うだけ、回想するだけ時間の無駄なのだ。

ちなみに、私は「同窓会」の誘いが来ても欠席することにしている。
48歳のときに出たのが最後となるのだが、「次回は還暦の年だね」という誰かの発言を
聞いて行くのをやめた。

おそらく同窓会において話題の中心となるのは「思い出話」だろう。
楽しかったことや苦しかったことなど過去の様々な出来事について共有し、
懐かしい思い出に浸る・・

人によっては心が暖まる時間なのかもしれない。
だが、そこで取り交わされる内容は、少なくとも「いま、〇〇に取り組んでいるんだけど・・」
といった現在進行形の会話ではないだろうし、「じつは来年から△△を始めようかと思って、
いろいろと画策してるんだ」といった、「未来に向けて、わくわくするような話題」は
期待できそうにない。

せいぜい「孫の話」か「病気自慢」、または今後の経済的な不安や後悔を以て
「傷の舐め合い」になるのが関の山だ。
そんなことに時間を使うくらいなら家に居て本でも読んでいたほうがマシである。

慣れた関係の維持、馴染んだ人たちとの会話・・とても建設的とは言い難い。
過去と縁を切ることこそが新たな展開を生むと信じている私にとって、懐かしさに
浸るのはそれこそ最期の時を迎える瞬間までオアズケにしておこうと思う。

さて、執着を捨てるために仏教においては以下の捉え方を学ぶことが肝要だという。
あらゆる存在は「縁」によって生じ、刹那的に移り変わりながら消え去ってしまう幻影
のようなものであり、固執すべき実体など最初から無いという「空」の観点を持つこと。

無常を知り執着を捨てたことで得られる穏やかな状態を仏教では「涅槃(ねはん)」
または「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と呼び、心の安らぎを意味する。

過去の執着や未来への不安を手放すためには「いま、此処」目の前に在る現実に
集中すること。
これを実践することによって余計な思考を巡らさずに済むだけでなく真の自由が
生まれるという。
と、口で言うのは容易いが、実行するのは難しいかもしれない。

誰もが否応なく人間として生まれてきた瞬間から死に向かって一直線に突き進んでいる。
「望んで生まれてきたなどという自覚がないのに時間が経過すれば(寿命が尽きれば)
この世から強制的に退場させられる」という不条理な摂理に対して不満を言ったところで
何も始まらない。

このような「させられる」はイヤだ!無理やりでも「する(自ら選択する人生)」に
変えられないものか・・
そこで哲学者ハイデガーは、「ならばいっそのこと自らの意志で自分をこの業火の
中に投げ込んでしまえ!」という意味の「投企」という言葉を残している。

以下、AIによる解説。
ハイデガーの「投企」とは、人間(現存在)が自らの置かれた状況(被投性)を自覚しつつ、
未来の可能性に向かって自らを投げかけ、主体的に人生を創造していく生き方のことである。
ただ未来に押し出されるのではなく「自分は何者にもなれる」という不確定な可能性を
引き受ける「本来的自己」への展開を指す。
この概念は、人間はただ存在しているのではなく、自分自身がどうあるべきかを
「意図的に企てる」ことで初めて「状況に翻弄されずに選択の自由を獲得し、
真の自分自身になる」という実存哲学における根本的な考え方である。※:引用おわり

怖いからこそ、名残惜しく後ろ髪を引かれるからこそ、決意を以て新たな環境に向きあう
必要があるのだ。

この記事が新たな環境に戸惑っている方に対して何らかのヒントになればとは思うが、
兎にも角にも必要なのは前に向かって「行動すること」でしか安心&安定は得られない。

勇気を以て「見る前に飛べ」&「意志的に自分を投げ込むこと」を実践することである。