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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.142(2024年11月号)…
■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■
キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。
◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
近況や情報などを発信いたします。◆
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選挙も終わり、候補者らが街頭演説で語っていた公約の実効性や新たな政府の
方向性が気になるところだが、私はいつもながらの『投票率の低さ』を見るにつけ、
とても残念な気持ちになってしまう。
政治や経済など身の回りのことに関心がなく、選挙があっても投票に行こうと
しない人たちは、はたして『社会に参加している』と言えるのだろうか?
などといった疑問が湧いてきてしまう。
もちろん、きちんと税金を納め、法律に則って他人に迷惑をかけることなく、
社会システムに関与しながら生活しているのであれば、とりあえずそこに『参加意識』
はあるのだろうが、単に収入に通じる経済活動(勤務)だけにかぎらず、社会福祉や
公共事業、または他国との外交や貿易など、実際に我々の生活にとって間接的に
繋がっている『政治』や『経済』に関心が及ばないとすれば、『参画意識』はないの
だろうな・・と勝手に悲しくなってしまうのだ。
投票に行くか行かないかは任意であって強要されるものではないので、投票に行か
ない人たちを責める気はないのだが、けっきょくは自分の身に降りかかってくる
国の舵取りや運営について興味が湧かないという件については不思議に思えたりする。
そのようなわけで、試しに『社会人とは何か?』について、広辞苑で調べてみたと
ころ、以下のような説明文が載っていた。
【 「社会人」とは一般的に「社会の構成員としての個人」と定義されています。
「社会人」は社会で何らかの役割を持って活動している人を指し、一般的には
本業がどうかで社会人かどうかを区別します。ですからアルバイトやパートで
働くフリーターは社会人とは呼ばれません。
社会人としての自覚とは、広義としては社会を構成する一員としての認識(自覚)
があること、または狭義としては組織や集団の一員として、経営や事業拡大へ
関わっていることを認識することです。
学生はさまざまな知識や教養を学び身につけることが求められる立場ですが、
社会人は身につけた知識やスキルを活かし、組織や集団に貢献する「成果」
を出すことが求められます。
また、一時的に無職状態である人や専業主婦なども社会人として考えられます。】
これは意外だった。
思っていたよりもずっと厳しい内容に驚くと共に呆気にとられてしまった。
どうやら何らかの役割を担って活動していない者は社会人と呼んで
もらえないらしい・・
フリーターやアルバイトも社会人ではないとなると、正規の職員や社員になりたくて
懸命に働いていても非正規でしか雇用されない者や、不本意ながらも疾病のために
入院生活を余儀なくされ、完治まで時間を要するために動くことができずにいる人、
または精神が病んでいるために引きこもり状態に陥っている人も社会人ではないことに
なってしまう。年金生活の老人も然りである。
また、後から取って付けたように専業主婦も社会人として受け入れてくれてはいるが、
それも「考えられる」といった非常に曖昧な書き方になっているのも気になるところだ。
これらの解釈は、おそらく『キャリア』に対する理解の乏しさと誤解の反映だろうと
思われるのだが、どうにも仕事を持っているか否か、または正規雇用か非正規かに
よって存在の定義まで疑われるような風潮があるとすれば由々しき問題であるし、
このような厳しい条件下に在る規定は人権問題にまで発展しかねない。
スーバーが示してくれた『キャリアレインボー』にも示してあるように収入の有無や
役割的な価値、または何らかの成果など、目に見えるものだけに限らず、そこには
主観的な意味付けや存在価値、そしてやり甲斐や生きがいなどの一人称的な感覚も
また大切にされなくてはいけないはずだ。
基本的人権を語る上では私情的な想いや感情までもが大切にされているのに、
これらの厳しい条件をクリアしていなければ社会人だと名乗れないというのは、
あまりにも酷い解釈としか言いようがない。
ただ、昨今問題視されている生活保護の問題。つまり外国籍の方々と国民との
扱いに差にあると不満の声が上がってきていることや、市民権の獲得問題に
ついては議論の余地があると思うが、我々の血税がどのように遣われているか?
今後も平和を維持できるか?健康は?物価は?・・これら時事問題についても
他人事ではなく敢えて意識的に自分事として関心を持って戴きたいものである。
ところで皆さんは、つい先日まで放映されていた朝ドラ『虎に翼』をご覧に
なられただろうか?
私は10数年ほど前から朝ドラを時計代わりに使っているので毎日欠かさず観ることが
日課になっているのだが、今回の『虎に翼』だけは全くの別物であった。
100年前から今日に至る法曹界の変遷を描いた内容だったのだが、主人公が女性初の
裁判官ということもあって、当時の女性たちの声にならない苦しみや悲しみが痛いほど
伝わってきたし、身近な問題でありながら知らなかったことも多々あった。
また、個々人の存在価値や人権について考えさせられる場面も多く、とにかく得るもの
が多いドラマだった。
(※:もし、ご覧になられていないのであれば、ネット配信やレンタル等でご覧になる
ことをお奨めします。)
『興味』は自然に湧くもの。 『関心』は敢えて意識的に持つもの。
今やネットニュースもYouTubeもSNSの画面上に現れる記事も、どれもがAIの判断に
よって個人の趣味や嗜好に合わせて内容が振り分けられているという。
ならば、意志的に関心を持つことで、新たな自分を演出してみるのも一興かと思うのだが、
如何だろうか。
◆おわり◆