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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.140(2024年9月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの

   近況や情報などを発信いたします。◆

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今回は、大災害が起こった際に使われることが多い「想定外」という言葉
について考えてみたい。

辞書で調べてみると、想定とは「こういう情況・条件だったら・・と仮に
考えてみること。」とある。

似たような言葉群としては、予見・予想・予断・見通し・目算・見越し・
予測・先見・仮説などが挙げられるが、未だ起こっていない未来の出来事に
対する憶測や類推等の中で「想定」とは敢えて意識的に想像することや様々な
情報を基に事細かに分析し推論を立てることと言えるだろう。
よって「想定外」とは、想定し切れなかった厳しい現実を表わす言葉である。

想定は、近い未来において起こり得るであろう好まざる出来事に対して備える
ために行なわれる。
もちろん「仮に」が前提なので、外れる場合もあれば、まったくお門違いの
結果に終わってしまうこともある。

ただ、こと「災害」についていえば、異常な自然現象や人為的な操作によって
人間の社会生活や人命に被害をもたらすことを指していることから、受ける
被害に重点を置いた客観的な意味であり、それを避けるためには意図して
過大的に捉えて扱うことが肝要である。

というのは、大袈裟な予想を立てたものの、実際には思ったほどの被害がなかった
ならば「けっきょく無駄な苦労だったねえ」と互いに顔を見合わせながら笑って
済むのだが、一方で「どうせたいしたことにはならないだろう・・」と過少評価的
に見積もった結果、それこそ想定を超えた大災害によって途方もない損失を被る
ことになるからである。

ここ数年来、ずっと言われてきた「南海トラフ地震」においても10階建ての
ビルに相当する35m級の津波が押し寄せるといった推測や、災害の規模に
比例して起こる経済的損失、そこで失われることになるかもしれない人命の数に
至るまで詳細なシミュレーションが行なわれている。

このような悲劇的結末を避けるために、または最小限に抑えるために我々はなにが
できるのだろうか。

我々は常日頃から「想定外」に出くわすことが多い。

たとえば、台風が近づいているのに旅行に出た結果、新幹線が立ち往生して列車の
中で一夜を明かしたなどと言う話を聞けば、周囲から「そうなることは想定できな
かったの?」と呆れられるだろう。

また、農業を営む方の中には降りしきる雨の中を「田畑が心配だ」と様子を見に
行って命を落とすケースもある。
見に行ったところで集中豪雨が相手では何ら抗う術はないはずなのだが、安心を
求めるが故に見に行かずにはおれない。けっきょく命を失った上に「彼は、自分の
身が危険に晒されることを想定できなかったのだろうか・・」と言われることになる。

このことは、真冬に悪天候が予想されるにもかかわらず登山を強行したり、クマと
出くわす危険があると警告されたのにキノコや山菜を採りに山に入るのも同じである。
そのどれもが想定力の欠如に加えて、自分だけは大丈夫だ!という根拠のない思い
込み(正常性バイアス⇒確証バイアス)が招いた結果という他ない。

原子力発電所の建設に伴う地質調査も、豪雨に見舞われた際に浸水被害に遭わない
かどうかを示してあるハザードマップにしても、どれもが「ある想定基準」を基に
語られているわけだが、この想定について人々はどれほど本気で取り組んでいる
だろうか。お任せ的に他人事として捉えてはいないだろうか。

少なくとも「想定」は「確定」ではなく、あくまでも仮の前提に過ぎないことを
我々は知っておく必要があるし、決して個人(専門家とて個人でしかない)の
見解だけを以て安心することではない。

さて、このことは何も大災害や個人的な災難だけに限ったことではなく、企業に
おけるリスクマネマージメントにおいても同様かと思われる。

リスクマネージメントにはリスクが発生する前に対応策を講じることによる「回避」
を目的にするものと、実際にリスクが顕在化した時点で緊急的に対応する
「受容(危機管理)」の2つがあると言われるが、ここで注目したいのは前者の
「回避」についてである。

今どきの企業における具体例としては以下のようなものが挙げられるだろう。
コンピュータウイルスの感染や災害など ⇒ 企業の機密情報をバックアップ
として複数箇所に保管すること。

従業員のメンタルヘルス ⇒ 早期発見ではなく、あくまでも主眼は未然防止に
向けられること。

他にもいろいろとあるだろうが、いずれにしても、法務、コンプライアンス、
セキュリティなど、各分野の専門組織と連携しながら多面的かつ多様な見解を募り、
全方位的にリスクについて評価を行ない、そこで得られた情報については全体に
向けて共有化を図ることが肝要である。

全方位的に・・と云うからには、決して個人の主観的判断を基に行なうことで
はなく、チーム全体での取り組みが求められることは言うまでもない。

これについては、いかに専門家を名乗ろうとも所詮は個人の範疇でしかないことや、
専門家自身も人間である限り何らかの認知バイアスや固定化されたビリーフを
持っていることを踏まえておく必要があり、そもそも専門家に対する依存体質が
問題だという認識を持つことが大切なのかもしれない。
むしろ、専門外の素人なればこその突飛な思いつきもまた重視する姿勢が
求められるのである。

専門家に聞いた想定の範囲だけでは全てを網羅することなどできないし、
謝罪にすらならない言い訳的な「想定外でした」を性懲りもなく繰り返せば
「オオカミ少年」の如く信用を失墜することになるだろう。
つまり、想定すること自体が価値を失ってしまうのである。

かく言う私も心理や福祉領域の専門家の端くれのつもりではあるが、断言する
ことに伴う危険性については常に念頭に置くように心がけている。想定は、
どこまでいっても想定でしかない。

いずれにしても、リスクマネージメントは個人においても集団においても
極めて重要な問題である。

私は、危機を予想して予め対応策を練っておくことを否定するものではないし、
想定を無駄だというつもりもない。
ただ、「もうこれで万事OK!」などというものなど無い!ということを忘れない
ために、いまいちど「油断大敵」や「災害は忘れた頃にやってくる」などの諺を
噛みしめる必要があるのではないかと提案しているのである。

「とかく日本人は熱しやすく、冷めやすい」とか、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
などと言われることが多いが、コロナ禍も、津波や洪水による被害も、地震による
家屋の倒壊も、戦争による痛手も、広島や長崎が被った被曝も、どうやら我々は
時間の経過によって記憶が薄まってしまう傾向を持っているのは間違いないようだ。

私がお世話になった先生(師匠)は、「すべての死は自殺である」と言い切っていた。
加えて「災害に遭遇した際に、自分は被害者と思い込むのは、そこに自覚がないからだ」
とも言っている。

彼の主張は、あまりにも極端な気がするし、すべてのケースにおいて当てはまるのか
否かは別にしても、「災害による損失(自らの死も含む)、緩い想定から生まれた
悲劇である場合が多い」くらいは言えるのではないかと思うのだが、皆さんご自身は
災害を避けるためにどのような工夫をされているだろうか?
その想定は、何を基準にして設定するのだろうか?

いまいちど検討してみる必要があるのではないだろうか。
◆おわり◆