キャリアコンサルタントになるなら株式会社テクノファのキャリアコンサルタント養成講座

株式会社テクノファは厚生労働大臣認定キャリアコンサルタント養成講座実施機関です。

キャリアコンサルタントとは

過去のメルマガ記事

テクノファのキャリア開発メルマガは月1回の発行です。
どうぞお気軽にお読みください。
購読は、無料です。

キャリア開発支援のためのメルマガを登録する

過去ログ(2012年度) 過去ログ(2013年度) 過去ログ(2014年度) 過去ログ(2015年度) 過去ログ(2016年度) 過去ログ(2017年度) 過去ログ(2018年度) 過去ログ(2019年度) 過去ログ(2020年度) 過去ログ(2021年度) 過去ログ(2022年度) 過去ログ(2023年度) 過去ログ(2024年度) 過去ログ(2025年度)


※バックナンバーは抜粋したもののみ掲載しております。メルマガを毎号お読みになりたい方は、ぜひメルマガ登録をお願いいたします。

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.154(2025年11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの

   近況や情報などを発信いたします。◆

========================================================
チームビルディングの基盤となる「絆づくり」

みなさんは国立教育政策研究所という機関をご存知だろうか。
教育政策の企画・立案に資する総合的な調査研究を行なう文部科学省所管の国立研究機関
である。此処では教育政策の基礎調査研究のほか、全国学力調査の実施、教育関係者への
研修や情報提供、国際協力など幅広い活動をしており、数年前からイジメ問題や不登校の
未然防止に有効な手立てとして「絆づくり」を提案している。

この提案は、人は基本的に「親しみを感じていたり、大切に想っている人」にはとても
親切であり、苦しんでいる姿を見れば助けようとするものであり、けっしてイジメたり
責め立てたりしないという、誰もが持っている一般的かつ当たり前の行動特性を前提に
している。

一方で、極端な言い方をすれば、知らない人には冷淡であり、仲間だと思っている以外に
対しては「どこの誰だか分らないヤツなんか、どうなったっていい」「知ったことか!」
と思っていて、たとえ傷ついた姿を見ても良心の呵責など起こらない・・

ここまで読んで「私はそんなことないぞ!」と反論したくなる方がおられるかもしれないが、
次の例を読んでどのように感じるか試してみてほしい。

例えば、どこか遠くの名前を聞いたこともない国で旅客機が墜落し、搭乗していた500人
全員が亡くなったというニュースを観たとしよう。
大きな事故があったと聞けば誰しも驚くとは思うが、まず、最初に気になるのは「いつ?」
「どこで?」「誰が?」「どのような?」ということではないだろうか。

その期待に応えるべくアナウンサーは言うのである「なお、日本人の乗客は含まれては
いないとのことです。」
おそらく、この言葉を聞いた時点で殆どの人は「ああ、よかった」と安堵し、目の前の
忙しさの中に戻っていくのではないだろうか。

しかし、これがもし国内で起こった航空機事故なら、ましてや親しい友人や 家族が乗って
いる便かもしれない・・などと思うと心配のあまり落ち着いてなどいられないはずである。

この違いについて、「そんなの当たり前だよ・・」などと簡単に切り捨てないでほしい。
先述したように、僕らは「親しい人」と「知らない人」に対する想いや接する態度には
大きな違いがあるということを先ず押さえておいてほしいのだ。

戦争も同じである。「家族や愛する人を守るためなら戦うぞ !」と躊躇なく敵を殲滅
しようとするだろう。
戦いの中では「敵の兵士にだって大事な家族や恋人がいるかもしれない・・」などという
ことは微塵も考えず、とにかく自分の身を守るためにも敵を倒すことしか頭にないはずだ。
つまり、「知らない人など死んだって構わない」というわけである。

ところで、人とは「孤立」を怖れるものである。
たとえば、全国から多くの人が集まるようなイベントに参加した際に、周囲を見渡しても
全く知り合いがいないときに何となく心細い気持ちになっていたあなたは、思い切って
隣に座っている誰かに声を掛けるだろう。
「どちらから来られたのですか?」と尋ねたところ、意外にも自分の地元の近くだったり、
頻繁に訪れる地域だったりすると「ええっ!そうなんですか!私の母も○〇県の出身なん
です!」と一瞬で嬉しくなり、「じゃあ、△△というお店にも行ったことありますか?」
などと他にも共通項がないか問うのではないだろうか?

このように、我々はなぜか不思議なことに地理的な距離や共通する何かが得られるだけで、
それがそのまま親密性や親近感を生み、それが多ければ多いほど仲間意識の距離と
比例して近く感じるのである。
これは所謂「同族意識」や「連帯感」と呼ばれる心理的反応である。

「絆づくり」に話を戻すが、なればこそ、せめて同じ職場に在籍する一人ひとりが互いに
しっかりと出会うことで「知らない人」がいなくなったとき、その集団がどのように
変化するか?ということである。
(※:ホーソン実験 ⇒ 検索)

特に企業体においては、そこに在籍する社員(職員)には共通の目的(利潤の追求)が
あるので、同じ目的に沿った話題に終始することで「同僚」という名の仲間を作りやすい。
しかし、真の意味での「チームビルディング」とは何か?と問われたとき、そこに本当の
意味での信頼関係や自分の居場所的な安心感が得られているのか?という疑問が残る。

特に男性は「考えを述べることと気持ちを話すことの違い」に疎い方が多いように
思われる。
40年間も同僚として一緒に仕事をしてきた仲間であるにもかかわらず、隣席に座っている
同僚の生い立ちや家族については何も知らないという浅い関係が殆どではないだろうか。

つまり、「仕事上の件について話し合う機会」は数多くあったが、「私とあなたについて
対話」は殆ど為されなかったということであり、けっして「仲間」イコール「絆」
ではないということだ。

同僚のことを「友人」だと錯覚していた者たちは、定年退職を迎えた翌年になって
「自分には友人がいなかったのか!」という事実に初めて気づくのである。

さて、ここで提案なのだが、そのような共通項で繋がっている関係ではなく、または
会話の中で「うんうん、そうそう」などと盛り上がるような関りなどではなく、かと
いって同じ目的に沿った議論などでもなく、相手のことを更に深く知り合うことを
目的とした「対話」を行なうことで、真のチームビルディングが実現できるのでは
ないか?と提起したいのである。

 コロナ禍によって所謂「飲み二ケーション」の機会が激減したこともあって職場
では業務連絡以外の接点がなくなってしまっている。
 少なくとも仕事以外での関りが減ったことで「チームづくり」が難しくなったことは
否めない。

 対話とは、文字どおり「私のことについて話し、あなたを知るために聴くこと」
である。
こんなご時世なればこそ、意図して「対話」を行なってみようという試みである。
(※:エンカウンター ⇒ 検索)

人は、目の前の相手について、その生い立ちや何らかの問題で苦しんでいる事情などを
知った瞬間、俄かに親近感が湧いてきて同情したり支えてあげたい気持ちになったりする。

相手のことを詳しく知れば知るほど近い存在に思えるものであり、いままで誰にも言わず
にいたことを「じつはね・・」と相手に開示したとき、殆どの者は
「いや、ホント言うと私も・・」と返してくれる。
これは「自己開示の返報性」といって、相手から頂いた正直な気持ちや想いに対して、
自分もまた真摯に応えるという行動原理があるためである。

集団内において1対1で積極的に関わることによって互いが深く知り合
い「絆(親しい間柄)」が生まれれば、もはやそこにはハラスメントなど起こるはずもなく、
個々が自分の居場所を自分の力で生み出すことによって「私は此処に居てもいいんだ」
という安心感を得られれば、忌憚のない意見も言えることだろう。

最近の風潮として、なぜか若い彼ら(Z世代とも呼ばれている)は、
周囲を重くしてしまうであろう話題を避ける傾向があるようだ。
おそらくこの背景には10~15年前に蔓延した「KY(空気、読めよ)」という呪縛が
あり、「集団内において、明るく盛り上がっている雰囲気の中では暗く重い気持ちになる
ような話題など出すものじゃない!」という呪縛に囚われていると思われる。

昨今、管理職の方々から「若手社員(職員)と関係を作ることが難しい」と悩む声を聞く
ことが多いが、若い彼らに対して「最近の若者ときたら・・」とボヤく前に、
年長の立場にある自分たちこそが彼らの持つ文化的傾向や行動特性に対して意志的に関心を
持ち、自ら歩み寄る姿勢を見せることが年輩としての役割ではないだろうか。
おわり