故横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。先生には多くの著者がありますが、今回はその中からキャリアコンサルタントの役に立つ「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-の核となるところを紹介したいと思います。
日本企業は社員を大事にし、長期雇用するスタイルが競争力の源泉だとして世界から注目された時代も長くありました。1970年代から80年代にかけて、「日本的経営」として称賛されもしました。しかし、時代が変わり、経営環境が変わり、人々の価値観も変わる中で、日本企業の是とされた人材施策も変わらざるを得なくなっています。
2010年代、日本ではコーポレート・ガバナンス改革が社会からの要請として議論されてきました。世界では国連の主張するSDGsをはじめとする持続的な企業価値創造が叫ばれ、今や企業価値の決定因子は有形資産から無形資産に移行しています。その無形資産の中核に位置するのが人材です。人材の価値を高めれば,無形資産の価値が高まり、それが企業価値を持続的に押し上げることになります。この人材の価値を高めるには人事・人材変革を起こすことが必要です。国際的にもこの流れは日本に進むこと10年くらい前から強い流れになっています。
現在のこの流れを40年前に主張したのが横山先生でした。その時代を先取りした慧眼に驚くとともに今こそ先生の主張を再度社会に広めたいと思っています。前回に続き「個立の時代の人材育成」を紹介したいと思います。
Q4 各論的質間の前に、個別人事権をラインに移管 (返還)した場合の人事部の全体的機能をどうイメージしたらよいか。
A4 人事管理の集団管理的側面、つまり労使関係、賃金体系をはじめとする労働条件、福利厚生などについての人事部の職責は、これからも大きな変化はないと思う。労働条件設定、改訂のための労働組合との交渉業務など、労使関係安定のために人事部が実質的に執行権を行使することは、妥当とされるであろう。一部の外資系企業では、労使交渉にもラインの参画を求め、人事(労務)スタッフの独善を防ぐ点においてよく機能しているケースもみられるが、労使関係業務は現実面で、企業福祉の分野とも重なり合い、また交渉業務や紛争の予防と処理にはかなり高度の専門性も要求されるから、人事(労務)スタッフのいわば、ライン的な執行権の行使が認められて当然とも考えられる。
一方、一人ひとりの社員の採用から退職までの賃金、異動、昇進を含む個別管理について、その執行権をラインに委任することによって生ずる問題にどう対処するか。個別には後述するとして、スタッフとして個別人事に果たすべき人事部の仕事は次の3点にまず要約できると思う。
① ライン管理者に対する人事管理教育の実施
人事管理者としてのライン管理者に、人事管理、人材育成に関する知識との技能を 、集合研修と職場訓練によって、継続的に教育しつづけることは不可欠である。その企画、実施は人事(教育)スタッフの責任である。このこと自体は目新しいことではないが、人事部が実質的に個別人事権を握ったままの管理者教育と、人事権がライン管理者に移った状態でのそれとには大きな相違が出てくる。まず、集合研修などへの指名権はラインにあり、ラインの必要に応じての参加を原則とする。教育訓練についてのライン責任がこのことによって明確化される。参加者の自覚、意欲もこの方が高いはずである。また、日常、部下の人事管理、育成に熱意を示す管理者は、当然上級管理者からその熱意に対する評価を受けなくてはならない。逆に、退職者を頻発させる場合などには責任を問われることにもなる。つまり、人事管理、人材育成はライン管理者にとっての重要な仕事の一つであることの了解が全社的に成立するように教育研修を展開することが新しい人事(教育)部の大きな仕事である。ちなみに、M社はERW(エンプロイー・リレーションズ・ワークショップ=人事管理ワークショップ)を企画実施し、全ライン管理者を対象に、賃金、福祉、協約などの知識とMBO、SLの復習、演習をすすめている。
② 習うより慣れさせること
ラインに対する人事教育の必要性を述べたが、教育ができ上がってから人事権を移譲するのではない。教えながらやらせるのである。できないから任せられないなどといっていては事はすすまない。人事管理者、人材育成者としてのスキル習得に早い者と遅い者とが分かれてくる。これもやらせてみなければわからないことが多い。テストや面接だけでは事前判定はできにくい。管理者としての人事責任を果たせるか否かを現実にやらせてみることによって、上司も当人も実地検証ができる。それによって管理職指向か専門職指向かの将来性を予測する一つの手がかりにもなる。ラインのトップ(部長職以上) レベルでは、キャリア開発委員会の面接委員となって、他系列社員の将来性予測を行なったり、キャリア開発会議に出席して対象社員の育成方法を合議したり、他部門幹部からの自系列部下に対する評価を聴いたりすることが、自ら人材育成上の視野を拡げる教育訓練の場となっていることが見逃せない。人事的な問題の意識革新には上級幹部の自覚と行動が決め手となる。③全社的な調整もラインで行なう総括機能を考えること
人事スタッフが人事権のライン委譲について、タテマエ上最も問題とするのは、移譲、分権が行なわれた後の全社的な統制、調整の問題である。全社的公正を旗印に、個別の人事問題に人事部が直接介入を強めると、問題が後もどりする。人事部スタッフの人柄・情報量・専門性・政治力などにもよるが、人事権返還の方向づけが確定したら、直接介入の程度を常に減らす方向に、ラインの自主性を常に高める方向にすすめることがよい。全社的調整の方法としては、再びM社の例のように(第6章)、幹部会議による決定や委員会勧告の形でラインへの支持、助言、ないしは不同意を公式表明できるようになると、ラインと人事部が対立する形は出てこない。幹部会議や委員会はラインによる構成であるから、(人事スタッフによる根まわしや、調整の必要がある場合はあっても)基本的にはラインの手によるライン間調整であり、ラインの手による全社的統制であることの姿は画然としている。くれぐれも、人事スタッフ自身は”黒子”、アドバイザーに徹しようとする姿勢が好結果を呼ぶことを忘れないようにしたい。以上、Q4、A4によって、スタッフに徹する人事部のイメージを、全体的に概観したあと、Q5、A5以下は各論として、採用、異動などに関する役割のとり方について、述べることにする。
Q5 ライン管理体制での採用のあり方はどうか。
A5 募集から予備選考までの段階が、人事部の執行業務であることに変わりはない。しかし、中間ないしは最終決定段階については考え直すべきことがある。
それは、人事部スタッフがほとんど最終的に近い段階まで煮詰めてしまって、最後を重役の集団面接で決める、という大方の慣行に対する異論である。いわばライン不在の、人事スタッフとトップ(実質的には人事部がほとんど全面的に取り仕切っている)で決めてしまうやり方はぜひ改めたい。中間段階からラインの長(部・課長・専門職スタッフ)を参加させるべきである。人事管理、人材育成は採用にはじまる。短時間の面接で採否を決めることのむずかしさを体験することからラインの長の人事教育がはじまる。中間段階における一票の権利をキチンと持たせること、面接表には評価項目にチェック印をつけるだけの画一的なやり方でなしに、採否についての意見を記述させること。少し面接経験を積んだ管理者には、自由に将来性予測までもやってもらうと面白い。その評価表は必ず保存し、後々の参考と、面接訓練のフィードバック資料とするとよい。採用へのラインの参加は、すぐにでも実行できる。ラインへの人事権の移行の程度にかかわらず実行できる。また大方のラインの部課長は採用に好奇心を持っているから、依頼すれば忙しがりながらでも引き受けてくれるものである。また採用後の配属上の適性判断も記入してもらい、参考意見として活用すべきである。仕事を通じて養ってきたラインの長のヒトを見る目をもっと信用した方がよい。
人事権のライン化の自然な切りロの一つは採用にある、と私は思う。
出典:横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-
(つづく)平林良人