故横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
先生には多くの著者がありますが、今回はその中からキャリアコンサルタントの役に立つ「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-の核となるところを紹介したいと思います。
2020 年9月に経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」から「人材版伊藤レポート」が公表されました。同報告書は、企業経営者や人事部門の方たちによく読まれています。この報告書が出されてから「人的資本」「人的資本経営」とう言葉が頻繁に使われるようになりました。「企業は人なり」「人材は石垣」、わが国には人を大事にする言葉やことわざが多くあります。しかい、人材の一人ひとりと向き合い、その価値を見出し伸ばす経営を実践してきたかと問われると、Yesと答えられる経営者はそう多くは居ないと思います。日本企業は総じて社員を本当に大事にしてきただろうか、今日この問いが真剣に問われています。
日本企業は社員を大事にし、長期雇用するスタイルが競争力の源泉だとして世界から注目された時代も長くありました。1970年代から80年代にかけて、「日本的経営」として称賛されもしました。しかし、時代が変わり、経営環境が変わり、人々の価値観も変わる中で、日本企業の是とされた人材施策も変わらざるを得なくなっています。
2010年代、日本ではコーポレート・ガバナンス改革が社会からの要請として議論されてきました。世界では国連の主張するSDGsをはじめとする持続的な企業価値創造が叫ばれ、今や企業価値の決定因子は有形資産から無形資産に移行しています。その無形資産の中核に位置するのが人材です。人材の価値を高めれば,無形資産の価値が高まり、それが企業価値を持続的に押し上げることになります。この人材の価値を高めるには人事・人材変革を起こすことが必要です。国際的にもこの流れは日本に進むこと10年くらい前から強い流れになっています。
現在のこの流れを40年前に主張したのが横山先生でした。その時代を先取りした慧眼に驚くとともに今こそ先生の主張を再度社会に広めたいと思っています。
―個別人事権のラインへの移行
ここは人事部門スタッフに最もよく読んでいただきたいところであると同時に、通常の人事スタッフに最もいやがられるところでもある。とくに、ヒトに関する保守性・閉鎖性の強い組織では、人事部門が保有する個別人事の執行権の制約ないしはラインへの移譲をはかることははなはだむずかしい。ましてや、常に集権的でありたいと願っている保守的で権力指向的な人事部が、自ら分権を申し出ることは到底期待し難い。かくして、ヒトに関する保守性の強い人事部門は、ご時世がどう移り変わろうと、モノとカネにどう革新がすすめられようと、ヒトの質の変化と発展には目をとざしつづけてきた。個別(立)の時代に対応する人事体制づくりは遅れに遅れてきたといってよかろう。とはいいながら、極端な人事部中心の横断統制による人事管理(厳然たる学歴別、卒業年度別、男女別管理)が旧態依然として人事部によって執行されているのは、もはや、一部の超保守的な大企業と官公庁にかぎられてきたようである。過去、 保守的な人事管理に固執してきた大方の大企業も、未曽有の環境激変化下の生存のためには各種の対応策をとらざるを得ず、そしてその結果は人事部の横断的統制を弱める方向にすすまざるを得なかったのである。
例えば、事業の多角化と事業部制への移行に伴ない一部人事権が事業部へ移行した。ハイテク業種の採用と雇用の確保のためラインの発言権が増大した。一部成長業種の中途採用の急増は新卒中心の横断序列を弱めた。またこれらの雇用構造の変化に呼応し、相乗的なインパクトをライン、スタッフ両管理層に与えつつある内部要因こそが、これまでの各章に述べてきた若年層の個別化、個性化、個立化の傾向である。強化される「個」について、ライン管理者は認識を改めざるを得ず、そして人事スタッフはまた、若年者の日常的な「個」の把握はライン管理者に依存せざるを得ないことを認めるほかなくなってきた。
個別人事権のラインへの移行は、このように、企業組織内外の変化と共にある。
ここからはライン主導型の個別人事管理についてのQ&Aをお伝えしたい。Q1 人事部スタッフはヒトの専任者として、個別的な把握を行なうよう常に努力している。
個別性の重視は人事スタッフ本来の仕事として、さらに努力、工夫を加えれば時代的要請に対応できると思うが。A1 組織の中での人の成長は、仕事を通じて把握されるものである。
人と仕事との管理は一体化してライン管理者に委ねるしかない。自明の理である。ましてや個立の時代には、生々として流動し、成長する「個」の現在的把握は、到底人事部スタッフのなし得るところではない。人事部のなし得る「個」の把握は、せいぜい採用以来のデモグラフィックな特徴の記憶か(コンピュータがやってくれる)、ライン管理者の把握、作成した人事考課、業績評価表を、月遅れ、年遅れで読めることでしかない。仕事の場で人をみていない人事スタッフが現在的な個別の把握を可能にしているとするなら、それは超人的な努力と、個人的な情報網、情報量による例外としか考えられない。Q2 業務の達成に追われるラインに、人材育成責任を負わせるのは現実的でない。現実を踏まえた上での人材育成のすすめ方を考えるべきではないか。
A2「責任」だけ負わせるわけにはいかない。個別人事権のラインへの「分権」化が必要なのである。また、現状のままでは個別(立)の人材育成ができないことの認識をなんとか共有したいと思ってこの本を書いている。”現実”の革新を「現実」的に提言しているのである。革新を可能にしなければ新しい人材の確保と活用ができなくなる。”現実”に固執する企業では「現実」に個立型人材の流出がはじまっている事実に目を覆うことはできない。横断統制権をふるう人事部は、「個立の人材」を惹きつけることも、その流出を止めることもできない。
Q3 敢えて現実論としていうが、日本の企業の人事部は集団的側面、個別的側面を含めて、立派に機能してきている。その点についての筆者の認識を問いたい。
A3 私は日本企業の人事部の過去20年の業績は功罪相半ばしていると思っている。個別管理的側面において、人事権をラインから奪ってしまった”罪業”の方から述べてみたい。
戦前、戦後を間わず、企業の創業と共に、個別人事権はもともとラインにあった。仕事と一体化されてラインにあった。であるから、個別人事権のラインへの分権、または移譲の課題は、むしろ、返還と呼ぶべきである。企業規模の拡大、雇用の複雑化などに伴って人事部の発足がみられるわけであるが、通常、人事部は専門スタッフとして、人事制度の企画立案とラインの人事執行業務への助言を行なうことを本務とされてきた。ところが30数年前のあの労使関係荒廃化時代に、生産正常化のためのスターとなった人事(労務)部は権力の増大、集中化と共に、個別の人事権まで取り込んでしまった。学歴別、卒業年度別の一括横断管理がそれである。そして個別化、個性化とは対極的な人材の同質化、規格化作業が執拗につづけられた。命令一下の集団的機動力の発揮のための土壌づくりとして、現在に至るまでの閉鎖集団的結束による繁栄に貢献してきたことは明らかである(これを裏返せばこの間の”人材鎖国時代”が、自由化、国際化の時代の人材難を招いていることも明白である)。また、人事部は雇用構造の変化への対応では現在まで、見事な手腕をみせている。派遣労働者、契約社員、臨時社員などの大量活用による経営危機の克服、過剰中高年対策にも苦心と努力を示した。また輸出から内需へ、二次産業から三次産業への転換の必要は、分社化、配転、出向の人事を必然化し、必ずしも過剰中高年の一律的処理とはいえぬ、個別的な対応があったことも見過ごされるべきでない。しかし、いずれにしても人事労務の集団管理的側面における機動力の発揮こそ日本的人事管理の最も得意とするところであった。この激変の時代に大方の人事部は、次の経営を担うに最もふさわしい若者達の重要な質的な変化をきわめて冷淡に無視しつづけたことは否めない。個別・個立の人材育成のシステムづくりに取り組む姿勢を示す気配などはまったくみられなかった。集団規範からはずれる異質の存在を許さなかった。かくして、ご時世のさま変わりが見られはじめたいま、にわかに、人事管理・人材育成のリストラクチャリングが間われることとなってしまった。ラインを主体とする個別人事、個別育成を可能とするシステムづくりに人事スタッフの専門性をどう噛み合わせるか。いまとなっては、最も遅れをとった保守的企業にとってはこれからの対応に大きな苦しみを伴わざるを得ないであろう。しかし前進への道(オモテ道もウラ道も)はあるし、 いくつかの大小の切口もある。少数とはいえ先行企業の経験も参考になるはずである。ラインを主体とした場合のその執行権のあり方と、専門スタッフとしての人事部がどう機能すべきかを個別人事管理の一つひとつの分野についてさぐっていくことがねらいである。出典:横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-
(つづく)平林良人