■目標管理の悲劇
テクノファのキャリアコンサルタントを指導した横山哲夫先生(1926-2019)は、1980年台目標管理は失敗したが、時代が早すぎた。今日(2024年)みたいに「個人が自立して働く時代」だったら絶対に必要なものであると予想していたはずです。目標管理を原産地米国から学んだ時機がよくなかった。何をつくっても売れる高度成長の時代には、借り物の技術に集団的機動力を加えれば万事がうまく運ぶようにみえる。そういう時代に、新しい経営、新しい人事管理の理念や手法について地道で、本格的な取り組みが行なわれることはありませんでした。この時代、多くのアメリカ式経営の手法が流行のように伝えられ、忘れ去られていきました。MBOもいわばその一つになってしまったのです。学者・研究者はともかく、経営の現場では、一部の、熱心な支持者と戦後の新興企業を除いて、日本の大方の経営者に大きな影響を与えることはありませんでした。集団的機動力をもって事に当たれば間違いなくよい結果を得られることをまざまざと見てきた経営者にとって、組織集団の中の「個」の尊重、集団目標の個別化の提言は、異和感を誘うことはあっても、正当な取り組みへの動機づけになるはずがなかったのです。そして、高度成長がオイルショックを機に、ゼロ成長、低成長に急転すると、大方の企業はひたすら生存のためのぎりぎりの忍耐と、明日の糧を得るための必死の知恵をふりしぼることとなりました。
かくして、目標管理は死に絶えることはなかったにしても(皮肉にも、”努力目標”や”ノルマ目標”が命運をつないだ?)片隅に追いやられ続けたのである。唯一の救いは、自己啓発、教育訓練との結びつきであった。どんな時代でも、自己啓発の重視を唱えることには、どこからも異論は出ない。経営者にとっては痛みもリスクもなく、経営責任の一端を転嫁できるうまみもある。せいぜい自己啓発の援助、奨励と結びつけ、能力向上のための教育訓練費用の支出で事足りる。かくして、目標管理の本格的導入のなし得なかった人事・教育担当者は、わずかに自己啓発・教育訓練の分野に極限された目標管理にその生存をはからざるを得ないことになってしまった。
出典 個立の時代の人材育成 横山哲夫 生産性出版 2003年
目標管理の導入に悲観的な人達は、目標管理的な思考が日本人になじまない、目的合理主義は日本人の価値観や美意識にそぐわない、日本の伝統的発想は目標よりもプロセスの重視にあると言っていました。一生懸命やってできなければ仕方がないと、まわりも自分もそれだけで納得しやすいということが横山先生の時代の大方の人の反応でした。しかし、目標の個別化による、個別の仕事のすすめ方は新人類と呼ばれる、新しい日本人達とはよく歯車が噛み合い、世の中は個立指向ヤングを中心にこれから変わってゆくと横山先生は強調、予測していました。
(つづく)平林良人