近年、我が国では、不登校、いじめ、子どもの自殺などの問題が深刻化しています。不登校については、文部科学省の令和4年度調査によると、小中学校で約 29 万9千人(全児童生徒の 3.2%)(中学生では 6.0%)と過去最高であり、過去5年間の傾向として、小学校・中学校ともに不登校の児童生徒数及びその割合は増加しています。
学校内外の専門機関等の相談・指導等を受けていない児童生徒は約 5.9 万人と報告されていますが、相談・指導等を受けていない不登校の児童生徒がどのような状況にあるのかは明確ではありません。
【最終版】不登校要因調査報告書240507
テクノファのキャリアコンサルタント養成講座を卒業し、キャリアカウンセリングの実践で活躍しているS.Sさんからの投稿です。
私たちは、子どもに向かって、こんな言葉を投げかけてしまいがちです。
【例1】
友人・「うまくできるかなあ・・」
私・「大丈夫、大丈夫!きっとうまくいくよ!」
おそらく、あなたは相手を励ましているつもりなのでしょう。あなたはきっと、不安に見える相手に対して元気づけることが「良い行い」であると思っているがゆえに、そんな言葉を放っているのだと思います。でも、そんなあなたの想いとは裏腹に、こういった言葉掛けはむしろ相手の不安を増大させるだけではなく、見放されたという感覚に陥ってしまうものです。
【例2】
何かを果たして帰ってきた子供に向かってあなたは言います。
私・「よかったね。うまくいったみたいじゃん!」
友人・「・・うん・・・」
子供はどこか沈んだ表情を変えません。いったい子供の心の中で何が起こっているのでしょう?そもそも、「よかった・・」とは、誰にとってでしょう? 子供の気持ちを勝手に決めつけてよいのでしょうか? 果たしてそれが「よかった」のか、「そうでなかったのか」は、あくまでも子供にとっての一人称的な主観であり、見ている側に在る私にとって・・ではありません。
もしかしたら、彼は(彼女は)結果に対して何か納得が得られず、腑に落ちないまま悶々としていたかもしれないのに、あなたの発した「よかったね」という言葉によって一方的に評価され、「よかった」という言葉で一色に塗られてしまったかもしれません。
【例3】
子どもが画用紙に絵を描いています。
その子は突然「ああ~、もお~!うまく描けないよ~!」とイライラした顔をしながら画用紙とクレヨンを放り投げたとします。
でも、その絵は大人の私から見てもなかなかの出来映えで、特にヘタだとは思えないとします。そんなふうに感じたあなたは、その子にどんな声をかけるでしょうか?
もしかして「そんなことないよ。うまく描けてるよ。きみ、絵が上手だね。」などと言いたくなりませんか?
でもきっと、そんな言葉を聞いた子どもは、「うまく描けないんだってば!」と、さらに声を荒げてしまうことでしょう。
子どもの内部で何が起こっているのでしょうか? きっと頭の中でイメージしたとおりに描けず、出来上がった絵に納得がいかないのでしょう。
この場におけるあなたも、もちろん悪気などあるはずもなく、むしろ良かれと思って励ましているつもりなのでしょう。でも、そこが大きな落とし穴なのです。
悪気などなく、良かれと思っていれば、人はこういった自分の言動に疑問を持ちません。
だからこそ問題なのであり、クセモノなのです。あなたは、相手が発している言葉の奥にある「心情的な背景」が見えていないまま、自分なりの主観を以て「決めつけ」を行っているのです。さらに言えば、「相手が今どんな気持ちでいるのか」ということに、あなたは全く関心がないと言わざるを得ません。関わる側の自分の内部から湧く「相手への興味」と、相手の今を知ろうとして意志的に持つ「関心」とは、まったく別のものなのです。
キャリアコンサルタントの目でひとつずつ振り返ってみましょう。
【例1】=相手の領域の問題に対して、なぜあなたは「大丈夫!」などと断言できるのでしょう? あなたが声を掛けたくなった動機はともかく、相手からしてみれば無責任な言葉に他なりません。
【例2】=よかったか否かをなぜ聴こうともせず、「よかった」などと決めつけてしまったのでしょう? 自分の内部に湧いた思いこみは、相手を観る目を曇らせてしまいます。相手の表情は?スッキリしていなかったはずです。
この場合も、関心をもって相手を観ていなかったということが言えます。
【例3】=子どもが発した言葉を、なぜあなたは否定してしまったのでしょう。
うまく描けなかったと主張していた子どもの言葉を遮って、言い聞かせようと
したあなたは何が分かっているのでしょうか? 年齢の割には上手だな・・と感じたのは、あなたの主観に過ぎません。ここでも、「誰にとって」という主語が履き違えられ間違えられてしまっています。
重要なことは、励ますことなどではなく、相手の気持ちを理解しようとする「姿勢」と「態度」であり、必要とされるのは、「あなたのことを知りたい」という姿勢から発せられる問いかけなのです。
子供に対して、「なんて声をかけてよいのやら・・」といった相談を受けることがあります。
相談したいという私の気持ちの奥には、相手を励ましたい・・または元気づけたいという想いがあるのかもしれません。
しかし、もしかしたら早く立ち直ってくれたら嬉しいとか助かるといった「私の都合」が隠されているかもしれません。
あたかも相手への慰めであるように思えても、自分側のエゴである場合もあるのです。きっと、何か考えて選んだ言葉よりも、「なんて声をかけていいか分からないんだけど、私はあなたに寄り添いたい気持ちでいます。」と、そのままを伝えるのがもっとも適切だと思います。少なくとも思いやる気持ちは伝わると思います。
最後にもうひとつ。
不登校児童を持つ母親が、「この子が学校にさえ行ってくれたら・・」よく聞く母親が発する「ため息混じりの言葉」です。おそらく、この言葉の後に続くのは「私が助かるんだけど・・」だと思います。児童の支援を仕事にしているキャリアコンサルタントの僕にとって、誰の支援なのかが分からなくなってしまう言葉です。
(つづく)K.I編集